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運命のロケ地はピンク色(出張いまいまさこカフェ4杯目)

2006年9月から5年にわたって季刊フリーペーパー「buku」に連載していたエッセイ「出張いまいまさこカフェ」の4杯目。表紙は阿部サダヲさん。


「運命のロケ地はピンク色」今井雅子

前号に続いてロケハン(ロケーションハンティング)の話。

そのピンクのハイカラな洋風建築に出会ったのは、友人の結婚式ついでに函館の街をうろついていたときのこと。「この辺にタイショウユがあるはずなんだけど」と元気のいいおばちゃんに声をかけられた。とっさに「鯛の醤油」を思い浮かべたが、さにあらず、大正湯という名前からして歴史ある銭湯だと言う。おばちゃんと一緒に探し出し、初対面となった。

その頃、わたしは独学で脚本を書き始めていた。函館山ロープウェイ映画祭(現在は名前が変わり、函館港イルミナシオン映画祭)の脚本コンクールを知り、ひらめいた舞台が、ピンクのお風呂やさん。

大正湯への行き帰りに逢瀬を重ねていた初恋の二人が離れ離れになり、「二十年後、もしお互いに幸せだったら、ここで会おう」と再会を約束する『昭和七十三年七月三日』という物語を書いた。歳月は二人の人生を大きく変えるが、待ち合わせ場所の大正湯は二十年前も現在も変わらない。この脚本が準グランプリを射止め、わたしのコンクール受賞第一号となった。

一年後の同じコンクールで二度目の準グランプリを取った『ぱこだて人』(当初はひらがな)が前田哲監督の目に留まり、映画化されることになった。シップの効き過ぎでシッポが生えるという奇想天外な話だが、湿布薬を扱うということで、主人公の家は薬局を想定していた。だが、監督が函館中をロケハンしても、ピンと来る薬局が見つからない。「お風呂やさんやったら、 あかん?」と電話が来たとき、「もしかして……」とピンクの壁が思い浮かんだ。大正湯に案内された監督は、ここなら絵になる、と一目惚れしたという。ロケハンに付き添っていた映画祭の関係者からも、 わたしと大正湯の縁を聞いていた。

考えてみれば、お風呂やさんに湿布があったって不思議じゃない。番台、湯船、脫衣場のテレビ、風呂上がりの牛乳……銭湯ならではのモチーフから新しい場面が生まれた。娘にしっぽが生えたことを知った父親が「うちは客商売だ」と世間体を気にする台詞も、薬局より切実になった。多くの観客が涙を誘われたという、家族が風呂掃除をしながら思い出話をするシーンも、薬局では作れなかった。運命の人とめぐりあえた人生が幸せに輝くように、ロケ地との運命的な出会いは、作品に大いなる幸運とパワーを授けてくれる。

授賞式、『パコダテ人』ロケ、映画祭での上映と函館を訪ねる機会に恵まれ、その度に大正湯と再会を重ねている。たまたま声をかけてきたおばちゃんとの小さな探険が、わたしの脚本デビュー映画のシナハンになっていた。ピンクの壁の前に立つたび、そのつながりの不思議を思う。

写真脚注)大正湯のいい写真がなくて。小道具のしっぽとてるてる坊主もピンク。

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ピンクの壁とピンクのしっぽ

大正湯(「たいしょうゆ」で変換すると、Macは「鯛醤油」と変換。わたしと思考回路が同じ⁉︎)とは2017年の12月に再会した。『嘘八百』が映画祭のオープニング上映作品に選ばれ、武正晴監督、足立紳さんとともに函館に招待された。『パコダテ人』も上映されることになり、函館旅行を組んだパコ関係者と一緒に雪景色の大正湯へ。

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「なんか、ペンションっぽくなったね」

思い出の壁よりピンクが濃くなっていたような。塗り直したのかもしれない。

ピンクといえば、bukuの写真に登場する撮影小物のしっぽとてるてる坊主は、記念に分けてもらったもの。このピンクのしっぽをつけて、一瞬だけ出演した。時間にして数秒ほど。金髪にしっぽの20年前のわたしが、イエーイと踊っている。

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clubhouse朗読をreplayで

2024.2.2 高坂奈々恵さん



目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。