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思いやりの相似形─ジグザグ未来予想線

2009年と2010年のUSJクリスマス特設サイトに寄せた連作短編小説「クリスマスの贈りもの」。「クリスマスのUSJを舞台にしたお話を」と注文を受け、一気に書いた10本のうち「サンタさんにお願い」「男子部の秘密」「てのひらの雪だるま」「パパの宝もの」の4本が掲載され、2年目に「壊れたビデオカメラ」を加えた5本が掲載された。

残る5本「地上75センチの世界」「とっておきのお薬」「映画みたいなプロポーズ」「ジグザグ未来予想線」「ぺったんこの靴下」をメールの受信箱から解き放ち、公開する。

クリスマスに向けてclubhouseで読んでくださる方がいたら、耳で校正させてください。

今井雅子作 クリスマスの贈りもの「ジグザグ未来予想線」

夫の引くスーツケースに奈緒子がつんのめったのは、少なくともこの日3度目を数えた。

ごめんと夫と同時に謝りあうと、中学2年生の娘の詩織が、「お母さんがくっつきすぎるんやって」とからかう。小柄な夫と奈緒子の遺伝子を受け継いで、詩織もクラスでいちばん背が低く、いまだに小学生に間違われる。スーツケースが大きく見えるのも夫の体格との比較のせいで、実際は縦長のコインロッカーに入るサイズだが、あいにくふさがっていたので、コロコロ引く羽目になった。

身内の奈緒子にぶつかるのはまだいいが、見知らぬ人を何度も轢きかけ、そのたびに一家でぺこぺこと頭を下げる。安物なのか、キャスターの車輪が空回りしてはあらぬ方向に動いてしまうことも、ぶつかりやすい原因だった。

クリスマスのUSJの人出は予想以上で、家族連れやカップルや学生のグループでにぎわっている。赤と緑とゴールドのデコレーションに彩られた園内は歩いているだけで気分が浮き立つが、制御不能なスーツケースが誰かにぶつかるたびにムードをぶち壊す。

「ごめんな。やっぱりクリスマスをずらせば良かったかなあ」

奈緒子が申し訳なさそうに言うと、

「ええって。俺がクリスマスに行こうって言い出したんやし」

夫はスーツケースの扱いに集中しながら言った。

単身赴任先の夫と電話で約束したときは、もう少し早めに行くつもりだった。だが、夫が戻る予定日がずれにずれ、クリスマス当日までずれ込んだ。無理しなくてもいいよと奈緒子は言ったが、夫は朝いちばんの飛行機で空港に降り立ったその足で、現地に駆けつけたのだった。

「札幌の雪を持ってきたかったな。あっちは一面真っ白や」

夫の札幌赴任が決まったのは、詩織が中学校に入って間もなくのことだった。当然ついて行くものだと奈緒子は思ったが、詩織がしぶった。ようやくクラスにも慣れ、ブラスバンド部の活動も面白くなりだした頃だった。どちらかといえばおとなしい性格で、人間関係を築くには時間がかかるタイプだ。転校先でまた一から自分の居場所を作るのは大変だし、同じようにいいクラスやいいクラブに恵まれる保証はなかった。

残りたいと言う詩織の意志を尊重し、夫は単身赴任を選んだ。

6月に異動して半年の間に、夫が家に帰って来れたのは3回だけだった。赴任先の札幌を拠点に出張することが多く、なかなか休みが取れなかった。家に帰っても仕事の電話に追い回され、奈緒子と詩織と話すよりも仕事相手と話している時間のほうが長かったりする。

一家がそろうのは、10月の詩織の運動会以来、2か月ぶりだ。詩織の中学校では学年対抗リレーの音楽をブラスバンド部が生演奏して盛り上げる。詩織は両親ゆずりの運動神経のなさでリレーの選手になるのは絶望的だったが、楽器奏者はリレー走者と並ぶ華だった。覚えたてのトランペットを力いっぱい吹く詩織の姿は、両親には、俊足のリレー選手よりも眩しく見えた。

毎日顔を合わせている奈緒子はあまり気づいていなかったが、夫は、単身赴任して以来、会うたびに詩織の口数がふえていると言う。体は小さいし、性格もおとなしいし、いじめられるのではないかと心配したが、友達に恵まれ、本当に楽しそうにやっている。

やはり単身赴任にして正解だったなと夫が言い、夫がそう言ってくれると、奈緒子も気が楽になる。慣れない一人暮らしで夫に不自由をかけているのでは、淋しい思いをさせているのではという申し訳なさもあるし、奈緒子自身も思った以上に夫の不在がこたえていた。3人が2人になると、家の中が無駄に広くなったような気がした。テレビの前を陣取る邪魔な背中が日常の風景から消えると、それはそれで淋しいのだった。

それでも、娘が幸せなら、正しい選択だったのだ。

2か月ぶりにお父さんに会うんだからと奈緒子は詩織の中学校の入学式に着たスーツの上にコートを着込んだ。詩織には従姉の結婚式に着たベルベットのワンピースを着せた。テーマパークよりピアノの発表会に出かけるみたいと詩織は渋り、「お父さんが浮くんちゃう?」と心配したが、USJの入口前で落ち合った夫もスーツ姿で、三人並ぶと、ますます発表会然となった。

USJで過ごす一日は、話す時間なら、たっぷりある。アトラクションやショーの長い列を待つ間、いつも顔を合わせている家族なら話題に困るかもしれないが、奈緒子たち一家には報告すべきことがいくらでもあった。

話題の中心はもっぱら詩織で、両親は聞き役だ。学校での出来事を、息継ぎを挟まないほどの勢いで次々と聞かせてくれるのだが、話が行ったり来たりするので、人間関係をよく把握していない父親はついていくのが大変だ。

「ユッコってのは、同じクラスの子やっけ?」
「違うって。ユッコはトランペットパートで一緒の子。クラスで仲いいのはユキとあーちゃん」

「詩織、お父さんにわかるように説明してあげんと」と奈緒子がたしなめると、
「ええって、気い遣わんでも。追いつくから」と夫は言い、ユッコ、ユキ、あーちゃんと復唱した。

「でな、ユッコに言われてん。詩織は体の割に、いい手をしてるって」

詩織はそう言って、両手の指を広げてみせる。体は小柄だが、指が長いのは、母親の奈緒子譲りだ。

「お母さんもよう言われたわ。手足は短いのに指は長いって」

奈緒子も真似して、同じように指を広げてみせる。

「ほんまや、似てる」と詩織は言い、「指長族やー」とおどけた。

夫が短い指をじっと見ているのに気づいて、奈緒子は「お父さんの手も、爪の形は似てるやん」と思いついたように言ってみるが、「ぜーんぜん違うやん。爪もお母さん似やって」と詩織は気がきかない。

「そうや、お母さん、手相見せて」

詩織が奈緒子の手を取り、掌を上にひっくり返す。

「今、クラスで流行ってるねん、手相占い」
「お母さん、占いとか怖いわ。変なこと言われたら気にするもん」
「じゃあ、ええことだけ言うたる」

詩織はそう言って、奈緒子の手相を指先で撫でながら、

「心配せんかて、これは、ええ手相やわ。結婚運も健康運もばっちり。生命線も長いから、長生きするで」といいことばかりを並べたてた。
「デタラメ言ってへん? 本も見んと、すらすら言うて」奈緒子が突っ込みを入れると、

「だって、同じなんやもん」

詩織が自分の掌を奈緒子に向ける。「川」の字を30度ほど右に傾けたような手相は、細かく刻まれた皺をのぞけば、コピーしたようにそっくりだった。

「指の形だけやなくて、手相までお母さんと同じか。やっぱし、お母さんは強いな」
「何、お父さん、いじけてるん?」

詩織は笑って、「お父さんのも見たるって」と父親の手を取った。中学生にもなれば手をつなぐこともない。手に触れるのはひさしぶりだ。

「お父さんの手、案外やわらかい」と詩織が言うと、夫はくすぐったそうな顔になった。

「お父さんもええ手相やわ。かわいい娘に恵まれるって」
「そんなこと書いてあるん?」
「この線がな、子宝を意味するねん」と詩織は言い、
「ほら、詩織とおんなじ」と自分の左手を見せた。左手の手相は、父と子で相似形になっている。

「右はお母さん似で、左はお父さん似なんや」と奈緒子は驚いたが、
「ユッコもそうやって。そういうもんみたい」と詩織は大人びた口調で言う。
「そうや、お父さん、手をグーにしてみて」

言われた通りに夫が拳を固めると、詩織は小指の付け根の下の皺を指でなぞり、

「30歳と45歳で人生の転機があるって」
「そんなことまでわかるんか」
「ここの皺を見ると、だいたいの年齢がわかるねん」
「45歳いうたら、今やん」と奈緒子が口を挟むと、
「まあ、確かに、転勤は転機やなあ」と夫はダジャレのようなことを言う。
「で、どうなるって? うまくいくって?」

早口になって聞いてくる奈緒子に、「そこまではわからんわ」と詩織が言うと、

「だって、手相って、未来を占うものなんやろ?」

占いは怖いと言っていたくせに、奈緒子は食い下がる。

「そうやけど、手相も変わるし」

詩織の言葉に、「手相が変わるん?」と夫婦の声が重なった。

「そう。本人の努力次第で、運命が変わって、手相も変わるんやって。45歳の転機をハッピーにするのもアンハッピーにするのも、お父さん次第ってわけや」

詩織が何気なく言った一言が、奈緒子にはずしりと響いた。

突然決まった転勤。娘のためを思って選んだ別居生活。だけどこれで良かったのかという迷いはぬぐえなかった。家族は一緒に暮らすものという思いがあるから、今の状況は不自然で歪んでいるという思いがあり、間違ったことをしているような後ろめたさがあった。

だが、選んだ道で、夫も娘もそれぞれ精一杯結果を出そうとしている。運命に遊ばれるのではなく、これで良かったのだと自分の生き方で証明しようとしている。

「そっか、そうやなあ」

一人で納得している奈緒子に、

「どしたん、お母さん?」
「何が、そうやなあ、やねん」

娘と夫が不思議そうな顔をする。

「そうや、思い出した。写真撮りに行かへん?」

誤摩化すように奈緒子は言い、懸賞で当てた記念写真引き換え券をバッグから取り出した。

「こんなん当たってん。フォトスタジオで無料で写真撮ってくれるんやって」
「見せて見せて」

長い指を伸ばして詩織が引き換え券を横取りし、

「今年バージョンの特製フレームに納めてプレゼントやって。それでお母さん、よそ行きのカッコしようって言ったん?」と納得した。

「クリスマスイベント中に行こうって言ったのは、そういう訳やってん」と奈緒子が夫に言い訳すると、
「そうやったんかあ」と夫がしみじみと言い、財布から取り出したのは、同じ券だった。
「俺も当てた」
「それで、クリスマスの間にって無理したん?」

終始夫と行動を共にしているスーツケースに奈緒子が目をやると、「そういうことや」と夫はうなずく。

同じ住所であれば重複当選と見なされたはずだが、自宅と単身赴任先のそれぞれに当選通知が届いたのだった。

「考えること、おんなじ。アツアツやん」

娘にからかわれ、奈緒子と夫は年甲斐もなく照れて赤くなった。それを見た詩織が「二人とも真っ赤や」と言うものだから、耳まで赤くなる。

「もう、親をからかわんといて」
奈緒子が照れ隠しに怒ったふりをすると、
「ええことやん、親が仲いいってのは」夫がおどけて奈緒子の肩に手を回した。そんなことをされたのは、いつぶりだろう。指が短めとはいえ、夫の掌はずっしりと頼もしい重みがあった。

「もう、みんな見てるやん」

そう言う奈緒子の声が、そばを通りがかる人たちを振り返らせ、

「お母さんの声が大きいんやって」と詩織が笑う。

長身の男性とその息子と思われる3人が近づいてきて、奈緒子たちを見る。壁のような4人に埋もれるように、その真ん中に小柄な女性がいる。こんな小さな人からあんな大きな男の子たちが生まれたのか、と奈緒子が感心した目で見ると、女性と目が合った。目の縁のメイクがにじんで、パンダのような目元になっている。なのに、奈緒子がつられて笑顔になるほど、晴れ晴れとした顔をしていた。

パンダ顔の女性に気を取られている間に、夫の手の重みは肩から去った。ちょっぴり拍子抜けしつつ、
「あーびっくりした。急にあんなこと」と奈緒子が大げさに言うと、
「うれしがってたくせに」とまたしても詩織がからかった。

今、自分たちは、とても仲のいい一家に見えているんだろうなと奈緒子は思った。ちょっとはしゃぎすぎぐらいに見えるのは、普段一緒に暮らしていない反動でもあるのだが。たぶん、夫が単身赴任することがなければ、今のようなやりとりはなかっただろう。

離れてみて、初めて見えてくるものもある。

自分が夫を、詩織が父親を、どれだけ思っているか。夫が自分と詩織をどれだけ思っているか。離れていても、互いを思い合う気持ちがあれば、家族は、家族でいられる。大事なのは、どれだけ離れているかじゃない。どれだけ結びついていられるかだ。

もし、手相に未来予想線があれば、さっきまで波打ったり下向いたりしていたのが、ちょっぴり真っすぐ上向きになっているだろうなと奈緒子は思った

clubhouse朗読をreplayで

2022.12.15 鈴蘭さん

2022.12.23 中原敦子さん


目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。