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貧困援助で配られる食糧の何百倍も捨てられている食物。飢える子ども

仮定の話。

食卓にならぶ夕食。子どもが好きなハンバーグだ。でも、そのハンバーグはいつもと装いが違った。大根おろしが添えられていたのである。子どもが、「このハンバーグ、やだ」と言う。「ぼく、食べない」と。親は「じゃあ大根おろしをとって食べたら?」と促すが、子どもは「食べられない」と繰り返す。そして皿を持ちあげ、歩きだす。何をするのかと思ったらハンバーグをゴミ箱に捨ててしまう。皿からすべり落ちるハンバーグ。そのわずか数秒間で、食べ物は廃棄物に変わった――。

こんな光景に出合ったら多くの親は怒るだろう。家庭レベルなら、僕なら、料理を作ってくれたお母さん・お父さんの真心や、畜産・農家の従事者のことや、いのちが食べ物になるまでの物語を「食育」として語るだろう。その瞬間も、国家レベルでみれば、そんな食育が吹き飛ぶ勢いで大量の食べ物が捨てられているのだけれど――。

日本の食品ロスだけで国連の食糧支援量を上回る異常

日本の食品廃棄物等は年間2,759万トン、そのうち、食べられるのに捨てられてしまう食べ物の廃棄、「食品ロス」は年間643万トン(平成29年発表)にのぼる。世界では何と13億トン。いま現在、8億2100万人が飢餓状態にあるとされる(平成30年発表)が、彼・彼女ら一人一人に1.58トンの食物を配れる量の食品が、ゴミとして捨てられている

ちなみに1.58トンは、日清カップラーメンにお湯を注いだ状態にしたもの4,000個分にあたる。毎日11個食べられる計算だ。

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国際的なレベルでみると、食品は極端に「偏」在している。国連WFPが2017年に貧困層に支援した食料は380万トンなので、日本一国の食品ロスだけで、国際支援の量を悠々と超えてしまうのである。何と愚かな話かと思うが、人類は食べ物を過剰に生産し、捨てまくっているのだ。

生産された食べ物の3分の1が捨てられている

しかも捨てられる理由は酷い。パッケージの原材料表示、その表示の「順番を間違えた」だけで一斉回収ということになったりする(10万個のシウマイ回収事故をご記憶の方も多いのではないか)。加工食品の原材料は重量順に記さなければならない(らしい)。なのに、それに違反したそのかどでシウマイは再利用不可となった。

いまビジネス界では、サステナビリティの文脈でSDGs(持続可能な開発目標)が知られ、企業も食品ロス削減に乗り出し始めている。残念ながら日本はSDGs後進国だが、世界では「生産された食べ物の3分の1が捨てられる状況を改善しよう」という動きが活発化してきている。NPOやNGOはもとより、国連や国家・企業にサポートの輪が広がっている。

フードバンク」もその一つだ。「余っている食べ物を、困っている人に」と聞くと、多くの人は、賞味期限切れの食品を回収し、貧困層に配布するとイメージしがちだが、フードバンクは違う。上で述べたシウマイのように、品質に問題がないにもかかわらず、包装不備や「販売期限切れ」などで市場に流通せず、商品価値を失った食品が発生する。従来それらは廃棄されてきた。だが、その食品を引き受け、生活困窮者を支援しているNGO・NPO等の市民団体を通じて路上生活者や児童施設入居者等“生活困窮者”に提供しているのが、フードバンクである。

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また、規格外食品を別のかたちで流通させる動きも始まっている。規格外食品とは、大きさ・形が規格と違う、少し傷があるといった理由で店頭に回らない食べ物のことだ。食べる分には何も支障がない。なのに、日本は特に規格に厳格で、それゆえ毎年大量の作物が破棄されている。『スローフードな日本!』(新潮文庫、2009)を書いた島村菜津さんはこう語っている。

まるで工業製品のように野菜の形、寸法、品質が測られ、それに応じて段ボールまでそろえられる。「誰が野菜の大きさと形をそろえて欲しいと頼んだのか。見栄えのいいものばかり買いたがる消費者のせいだと言う人もいるし、傷めず、効率よく、遠くまで運ぶという流通の都合のせいだと言う人もいる」「いずれにせよ、それが農家の手間や出費を増やし、苦しめている」「規格外となると、売り物にならないとはじかれ、泣く泣く処分するらしい。そんな、もったいない話があるだろうか」

規格外食品もまたフードバンクで扱われている。

「SECOND HARVEST JAPAN」はじめ広がる食品活用

先般、僕が書評した『共感資本社会を生きる』(新井和宏・高橋博之共著、ダイヤモンド社、2019)で、こんな語りがあった。

「つくる(育てる)人たちは知っているわけですよね。つまり、規格外のものが存在し、それこそが自然であることを。規格外だからって、それがおいしくないなんて誰も言ってないわけですよ」

この問題に真摯に取り組む高橋博之さんは、ネット社会の利点を活かし、生産者と消費者を直接つなげ、信頼関係を生みながら作物などをやりとりする「ポケットマルシェ」サービスを運用している。本当においしいもの、不ぞろいなもの、そういったものが価値的に提供できるようにと――。また新井和宏さんは、そのコンセプトに寄せつつ、新しい貨幣「eumo(ユーモ)」を創設し、資本主義の苛烈な競争原理のオルタナティブになる経済圏を構築・運用している

日本で初めてフードバンク活動を開始したのは、NPO法人「セカンド・ハーベスト・ジャパン」である。フードバンクは、企業や製造業者、輸入業者から集めた食品を、児童養護施設や支援・福祉施設、炊き出しやコミュニティセンター等に届けている。その後、各地に多くのフードバンク団体が生まれ、団体をつなぐ役割が必要になった。全国フードバンク推進協議会等は、それを担う組織の一つ。同組織では、贈り先を団体に限定せず、経済的困窮により十分な食事がとれない状況にある個人・世帯、路上生活者にも食品を提供している。

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日本は貧困国である。貧しさを数字から見る

日本がすっかり貧困国になったことはご存じだろうか。格差社会のせいもあって返って見えにくくなってはいるが、貧困率(2015年)は何と15.6%にのぼる。被災地などの特異的地域は除いた数字で、だ。何と国民の6人に1人が貧困状態にある。また、17歳以下の子どもを対象とした「子どもの貧困率」は2015年で13.9%、さらに驚くべきは「ひとり親世帯(子どもがいる現役世代のうちの大人がひとりの世帯)」の貧困率で、こちらは50.8%(2015年)にのぼる。OECD加盟国35カ国中ワースト1位の数字だ。

「貧困」とは、収入などから税金や社会保障費等を引いた額で、2015年時点では年間122万円、それ以下を貧困としている。この122万円には、家賃や光熱費、医療費、学費なども含まれるため、実質、自由に使えるお金はほとんどない(否、足りない)。そういった家庭を「貧困」と呼んでいる。

生活費の中で、わりと削りやすいのが食費だ。そのため、シングルマザーが2日に1食といった形で食事を減らしながら子どもに食べさせたり、どうしても子どもに食べさせられず、夏休みなどの長期休暇で急減に子どもが痩せてしまうといった例が後を絶たない。

フードバンク山梨/セカンドハーベスト京都から見る

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実は今回、この話題について熱く語ってくれた人がいた。特定非営利活動法人「セカンドハーベスト京都」の澤田政明さんである。同組織は、京都における食品ロス削減とフードセーフティーネットを両立させる「社会インフラ」になることを目指し活動している。今般の新型コロナ禍においては、休校措置の影響で給食が食べられなくなった子ども――ご存じだろうか。給食を主たる食事とせざるをえない困窮家庭が多いのだ。これは京都だけに限らない。日本の子ども7人に1人が貧困にあえいでいる――十分な栄養がとれない子どもたちを支援する「フードバンクこども支援プロジェクト」も実施している。

澤田さんからご恵投いただいた『からっぽの冷蔵庫』(米山けい子、東京図書出版、2018)は、なまなましい現場の声を伝えてくれる。貧困世帯の親御さんは口々に言う。

「栄養が不足している。(でも、子どもは)気をつかって食べない」
「食べる物が少なくてかわいそう」
「栄養のあるものを食べさせてあげられているか心配」
「いつも同じ服や穴のあいたズボンをはいている」

深刻な状況に手を差し伸べてくれるフードバンクやセカンドハーベストの取り組みは、助け船であり、福音である。

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「フードバンクこども支援プロジェクト」の2015年調査では、貧困家庭における1日1人あたりの食費が400円未満の世帯は64%にもなるという。1食は約130円。コンビニのおにぎりで1食というレベルだ。そもそも「フードバンクこども支援プロジェクト」は、夏休み中に子どもが山梨の学校に来て「何か食べるもの、ないですか?」と問うてきた衝撃から始まった運動である。あす食べる物さえ危ぶまれ、親は申し訳なさで心がいっぱいになり、一方の子どもは親の姿をみて「大丈夫」と気遣う、そんな家庭が、数百万世帯も存在している。

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いま、山梨のエピソードを紹介したが、セカンド・ハーベスト・ジャパンがアメリカから来た取り組みだったのを、「日本ならではのアプローチ」に改変してフードバンク活動を開始したのが「フードバンク山梨」である。そこで生まれたプロジェクトが「フードバンクこども支援プロジェクト」で、セカンドハーベスト京都では第3回同プロジェクトを近日実施予定だ。

今あなたが始められること

京都府内でも今、教育関係者から「夏休みなどの長期休暇があけて登校してくる子どもの中に、痩せてくる子がいる」という話が聞かれるという。一度や二度の話ではなく、だ。もしかしたら、あなたの隣人にも、似た状況に苦しむ人がいるかもしれない。しかし当事者は、「恥ずかしい」「情けない」「迷惑をかけたくない」「知られたくない」と、可能な限り貧困であることを隠そうとする。「貧困は自己責任」という世間の偏見がそれを後押しする。かつては地縁・血縁といったコミュニティで吸収・解決されてきたこれら課題も、現代では同じようにはいかない。セカンドハーベスト京都では、あえて食品を宅配に頼み、支援者と受け手が直接ふれあわないようにしている。本人たちに、みじめな思いをさせないために……。

しかし、これら運動はまだまだ知られていない。参加についても課題がある。フードバンク的な取り組みに興味があるのに、二の足を踏む人がいるのだ。セカンド・ハーベスト・ジャパンの理事長だったチャールズさんが、日本に来て驚いたことをこう語っていた。日本人は「偽善者になりたくないからボランティアをしない」と言うんだ、と。「アメリカではボランティアはしなければならないもの、というプレッシャーがあって、これはこれでおかしいと思うが、日本人の偽善者になりたくないという理屈は、いくら説明されてもわからない」。そのため、フードバンク山梨やセカンドハーベスト京都は、さまざまな方法で、ボランティアの質を維持しつつ参加のハードルを低める工夫をしている。

「いただきます」が意義のままあたり前になる世界へ

こうして考えてみると、日々私たちの食卓にのぼる食品の偶然性に気づく。その食品は、高確率で捨てられる運命を生き延び、たまたま今この食卓にあるのだ。それは、美しい奇跡ではない。むしろ生成された食品=いのちは、ムダにされ、捨てられることなく、しかるべきところ・人に贈られるべきだ。当然であるべきだ。食べ物に到達できる環境を――その取り組みは、Googleで「フードバンク」「セカンドハーベスト」と検索すればすぐわかるとおり、日本各地に広まっている。

日々の「いただきます」の意義をふまえることから、食品を通じた活動、寄付、寄贈、協力、ボランティアまで、食の支援・取り組みは、実はすぐに始められる。こういった事情が日本のそこかしこにあることを知ったうえで、貧困と食についてぜひ考えてみてほしい。何をするとか、そういうことでなくても、まず知ることから始めてみてほしい。

ハンバーグをゴミ箱に捨てる子どもに激高するあなたなら、これら問題にも真摯に向き合えるはずだ。

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[セカンド・ハーベスト・ジャパン]
http://2hj.org/
[フードバンク山梨]
https://fbyamana.fbmatch.net/
[セカンドハーベスト京都]
https://www.2hkyoto.org/
[ポケットマルシェ]
https://poke-m.com/
[eumo(ユーモ)]
https://eumo.co.jp/
[「貯められないお金」で人は幸せになれるのか?」拙稿]
https://diamond.jp/articles/-/224619

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