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モデル&コンテスタントウォーキング講師・毛受貴代美の自分史|インタビュー(聞き手:ライター正木伸城)

モデルやコンテスタントウォーキング講師、マナー講師などを務め、活躍の場を広げている毛受貴代美さん。彼女は「自分に自信を持ちたい」「自分らしく輝きたい」「内面も外面も美しくなりたい」と願う人たちの魅力を数多く引き出してきた。その対象はプロのモデルから一般人までと幅広い。ここではそんな彼女を深堀りし、人生物語をひもときながら美の追求にそなわる価値に迫っていく。

【プロフィール】毛受貴代美・めんじょうきよみ 「Mrs. Grand Universe」日本代表に抜擢され、2020年にClassic部門「世界グランプリ」を獲得。翌年には日本初開催の「Japan Kids Fashion Week」で講師を担当するなど活躍の場を広げた。現在は美容やマナーを軸としたパーソナルコンサルティングやレッスンを提供する「ECLAT INTERNATIONAL」代表を務めるとともに、ウォーキング講師、ファッションモデル育成講師、モデル、プロトコールマナー講師等の多彩な顔を持ち、人々の外面・内面の美「追求」をサポートしている。1972年に3姉妹の次女として生まれた。愛知県出身。二児の母。

はかなさに美を見いだす少女だった

――毛受貴代美さんの美しい体形・スタイルから、幼少期は大人びた女の子だったのかなと勝手に想像しています。どんな子どもだったのでしょうか。

変わったところがあったと思います。幼稚園の頃から「死」に関心がありました。はかなく死にゆく美のようなものを感じていたんです。「花は散るから美しい」と言われますけど、「散り」に美しさを見いだしていた。もちろん死ぬこと自体に興味があったわけではありません。ただ、アンニュイな感じへの憧れを持っていました。死ぬ時に綺麗でいたいって。

だからでしょう。「貴代美ちゃんは耽美主義(=美に最上の価値を認め、それを唯一の目的とする立場)だね」とよく言われていました。小学生の時から太宰治を読んでいたんです。彼の作品の登場人物って、時に破滅的ですよね。強烈なはかなさがある。で、美学も感じるんです。表面的なキラキラした華やかさ、いわば「陽」に魅力があることはわかっていましたが、私は「陰」の美しさに特に魅力や色気を感じていた。作家・森瑤子が描く「終わりの美学」みたいなものにも惹かれていました。

――美しさには「陰」と「陽」があるのですね。

そうですね。現在の私の仕事は「美」を伝えるというものですが、エステやネイルをするわけではないですし、化粧品のレクチャーをしたりもしません。「陽」の美の追求をメインにはしていないんです。基本はマナーや振る舞いを教えています。それは美学で、内面的なものです。とはいえ、ポージングやウォーキングで見た目を洗練させていく過程もレッスンしています。外面的な美しさも追求している。内外両面をサポートしつつ、特に内面を掘り下げるのが私のスタイルです。「どう生きるのか」「人生で何をするのか」を深めていくんです。

見た目が綺麗なことはもちろん大事です。でも、綺麗な見た目を楽しむには豊かな人間性が必要です。自分磨きが必須というか。そしてその自分磨きは、「陰」の部分と向き合った時に上手にできるようになるんです。「陰」の美を知ることが大切だと私は考えていますし、「陽」の美は「陰」の美を知ることで完成します。この感覚は幼い頃から持っていた。無邪気な子どもではなかったです。思春期になっても騒ぐタイプというより「いかに笑わないか(笑顔はたたえるくらいにする)」を意識するような生徒でした。

3歳時(左)と高校2年生時代(右)の貴代美さんの写真

CAや女優を目指すも挫折

――ですが、中学時代にドラマ出演を果たしますね。

親の勧めで応募しました。14歳の時にオーディションに受かって、NHK「中学生日記」にレギュラー出演することになったんです。学校の友だちには内緒にしていましたけど。「あれって貴代美ちゃんじゃない?」と聞かれても、はぐらかして。この時、夢は「女優になること」になりました。それ以来、高校・大学時代もオーディションを受け続けました。

また、昔からCAになりたいとも思っていたので、両輪で将来設計を考えていましたね。結局どちらも挫折するわけですが……。当時、英語科の偏差値が日本トップクラスだった短大に入学できたのですが、卒業時は就職氷河期が始まっていて、CAの正規募集もほぼありませんでした。それであきらめることになって、富士通株式会社に入社。女優業も、大学時代にさまざま見聞きするなかで「これは特別な人だけしかできない仕事なんだ」と痛感して、やはりあきらめました。

――「現実を知った」ということでしょうか。その後、OLになったと。

OLはすごく楽しかったです。その一方で、短大卒というだけで海外担当の業務を任せてもらえなかったり、男性社会のシビアな現状を目の当たりにして、少しずつ「やりたいことができない」自分にモヤモヤすることになりました。肌荒れや胃潰瘍にも悩まされて「こんなはずではなかった」とふさぎ込むことすらありました。それに耐え切れず、やがて「本当にやりたいことに挑戦しよう」と腹を決め、エンタメ業界の夢に向かって再びチャレンジを始めました。最初はふと目にしたオーディションに応募することかスタート。「ミス・キャセイパシフィック」や「ミス・ニューカレドニア」の東海地区代表になりました。しかし鳴かず飛ばずという現実は変わりません。

オーディションに落ち続けるもモデル業界へ

――女優も目指していたのかもしれませんが、どちらかというとモデルの仕事も受けていたのですね。

そうですね。無我夢中で動いて、名古屋中のモデル事務所でオーディションも受けました。これも、ことごとく落選してしまうわけですが……。そんななか「この子、モデルっぽくなくて面白い」と言って拾ってくれたのが「アリス・イン・ワンダーランド」という名古屋の老舗事務所でした。当時私は日焼けサロンに通っていて、色黒で、立ち居振る舞いもなっていなかった。確かにモデルっぽくなかったんです。苦肉の策で「私、筋肉あるんです」と言ってチカラこぶを見せたりしました(笑)。面接してくださった方は大爆笑(笑)。何とか合格しましたね。この半年後、富士通を退職。事務所に入って、モデルとしては超・底辺からですけど、出発しました。これが24歳の時です。

――"超・底辺"とはいえモデルの仕事は徐々に入ってきましたか。

とにかく努力しました。あれこれ試して、一度、髪をばっさり切ったこともあります。ショートカットにしました。で、肌の色も落ち着いてきた頃に売り出すキャラも変えたんです。「ナチュラルな妹キャラ」といった感じで露出しようと決めた。そうしたら徐々に仕事が入ってきました。ローカルですが、ラジオやテレビにも出るようになってレポーターもしました。その際は「セリフで絶対にNGを出さない」と決めて、実際に完遂したんです。すると「あの子はNG出さないから」といって、さらに起用されるようになって。ありがたくも努力で仕事が成り立つようになりました。

結婚してモデル業から退く

――そのさなか、30歳になる頃にご結婚をされます。驚いたのは妊娠した際にモデル業を辞めると決断されたことです。

アリス・イン・ワンダーランド所属のモデル時代(左)と結婚式(右)の写真

「子育てが厳しいから」という理由がありました。私の夫の母(義母)がすでに他界していたんです。私の母も59歳で他界しました。頼る家、預ける場所がなかったんですね。夫は仕事ですから実質ワンオペ育児になるのは目に見えていた。その環境下で、スケジュールをすべて事務所に管理されながら、仕事も不規則で、「明日、現場入れるかな?」みたいな対応もしなければいけない。モデル業を続けるのは無理でした。

――ところが、子どもが2歳になる頃にモデルに復帰されます。

金銭的に生活が厳しかったんです。正直、貯金がまったくできなくて。いろいろ仕事を探しましたけど、未就学児を抱えながら働ける場所はありません。そうやって困っていた時に、なんと、もとの事務所から「スケジュール管理について心配するかもしれないけど、『子どもを預けずに働けるか』といった予定の確認は毎回するから、うちに戻ってこないか?」と言われたんです。天啓でした。お言葉に甘えて復帰しました。

――貴代美さんの日頃からの真摯な働きぶりが信頼につながって評価されたのかもしれません。

ところが、モデルに復帰といっても、2年間のブランクがありました。年齢も、当時34歳です。オーラもまったくなくなっていた。自信を失いましたね。自分の軸がない感じがして、ブレブレの信念で、オーディションにもことごとく落ちました。鳴かず飛ばずがずっとずっと続きます。

マナー講師との出会い。起業にも関心を持つ

そんな時に出会ったのがマナー講師の先生です。「プロトコールマナーのトークショーがあるから司会をやってくれ」という依頼が来て、司会をしたんです。その時に出会った講師のオーラに衝撃を受け、「私は内面を磨かないとダメだ」と直感しました。マナーを学べば心も磨けるし、自信もつくかもしれない。そう思って、直後からマナー教室に通うようになりました。同じ頃、起業にも興味を持ち始めて、女性起業塾にも入塾。ここで(モデルとは違う)別の人生を歩もうと決めました。モデルでやっていくことに限界を感じていたこともありましたけど、何よりプロトコールマナーが好きだったんです。整う感じとか、美しく振る舞ったり相手の気持ちを考えて行動するといった世界観が好きでした。

――マナー講師になって、やがては教える側になろうと思ったのですね。

まずはプロトコールマナーを徹して習得していきました。尊敬するマナー講師がモナコに移住した時には、私もモナコに研修でわたって学んだくらいです。とにかく「自分を変えたい」という一心でした。日本では個人事業主となってマナーとウォーキングの講師を始めました。このウォーキングも、スタンダードなマナー教室のカリキュラムに「ドレスウォーキング」というものがあって、そこから派生して教えるようになったんです。もちろん自身がモデル経験者だったからという理由もありますが、ウォーキング講師は"たまたま始まった"という感じです。

34歳でモデルに復帰(左)、その後39歳の時にマナー研修でモナコにも(右)

Miss Universe Japanのマナー講師に抜てき

――とはいえ、生活は苦しかったのではないでしょうか。

そうでしたね……。しかし、そこに転機が訪れます。2013年、私が41歳の時です。それまでなかった「Miss Universe Japan」の地方大会制度が始まって、ビューティーキャンプ(コンテストのためのレッスン)のマナー講師に私が抜てきされたんです。「Miss Universe Japan」のコーチといえばイネス・リグロンが有名ですが、彼女に憧れていた私からすれば、講師の抜てき話は「胸の高揚」が抑えられないほどの喜びでした。また、翌年には「Miss Universe Japan Aichi」のウォーキング講師にも任命されます。この頃から、モデル事務所・スクールからの講師依頼が急激に増え始めました。なので、私は屋号を変えました。もともとの屋号は「Gratia Eclat(グラティア エクラ)」でしたが、「世界で活躍するモデルやコンテスタントを育成したい」との思いから「ECLAT INTERNATIONAL」に変更したのです。

――苦節の多い人生のように感じますが、ここで芽が出た。

失敗は多かったですね。じつは、講師業以外にも会社経営や起業はしていたんです。モナコ研修きっかけでラベンダーオイルを製造・販売する会社の日本人代表に就任したり、日本でもセレクトショップを開業したりしました。でも、うまくいかなくて、仕事的に危ない状況に陥ったこともあって。どちらもクロージングしました。とはいえ講師業も個人事業主からのスタートで、収入的に不安定です。正直、何年もの間、安定というのはなかったです。それが、ようやくですよね。

「Miss Universe Japan Aichi」で講師を務めた貴代美さん

Mrs. Grand Universeで世界グランプリに

2018年にはウォーキング講師ユニット「ランウェイミューズ」を結成して、一般女性を美に導く活動を展開し、セントレジスホテルでファッションショーイベント「WOMANS MODEL COLLECTION」を開催しました。翌年にはここから飛躍できて、「WOMANS MODEL COLLECTION 2019」をリッツカールトン大阪で開催。そのご縁で「大阪コレクション」にもモデルとして出演することができました。事務所にいた頃には夢のまた夢だった舞台に急に立てるようになったんです。さらに2020年には「Mrs. Grand Universe」日本代表に選ばれ、予想を超える成果というか、Classic部門の世界グランプリを獲得できました。

――すごい! 一気に飛躍できたんですね。

昨年は、日本初開催の「Japan Kids Fashion Week」講師をはじめ、キッズモデルたちへのレッスンも増え、事業も大きく拡大できました。教え子のなかからパリ・コレクションのモデルも出て、後進の育成も充実しているので、いまとても楽しいです。

「Mrs. Grand Universe」で世界グランプリに(左)。49歳で「Osaka International Collection」にも出演(右)

これからの展望について

――これからしていきたいことを教えてください。

まずは自らモデルとして再び舞台に立ちたいです。今までは講師として「育てる側」「裏方」にいましたけど、自身も前面に出て活躍していきたい。90歳くらいになっても現役モデルとしてステージに立っていたらカッコ良いと思うんです。それと、もう一つは「美しい生き方」を伝えていきたい。その手段としてウォーキングやマナー、そして考え方(貴代美さんは吉報道協会認定吉報士でもある)を丁寧に扱っていきたいと考えています。

特に、ですけど、「教える」「伝える」は私にとってまさに天職だなと最近感じています。講師になって、モデルの子たちが変わっていく姿をたくさん見てきました。悔しい思いをして泣く子もいる。挫折する子もいる。でも、みな最後は強く綺麗になっていくんですね。そして「貴代美先生に出会えて幸せです」「人生が変わりました」と言ってくれる。その言葉にふれた瞬間「これが私の天職かもしれない」と感じて心が震えました。一般の女性に対しても、同じです。一般の人に教えても、やはりモデルと同じように「変わる」んです。歩き方一つ変化するだけで、メンタルも生き方も変わる。彼・彼女たちも「先生のおかげで人生が好転しました」と言ってくれる。わたし的には「教える」というより生徒と共に「伴走している」という感じですが、結果的にわたし流の講師術になっていて、これが天職だと実感しています。

最後のビューティーキャンプ後に教え子たちと抱き合う

内面を磨くということの価値

――最後にお聞きしたいのですが、「内面を磨く」とは貴代美さんにとってどんなことになりますか。

やさしさ、正直さ、誠実さ――磨かれた内面像にはいろいろな理想があると思います。私は「自分の肉体も心も大切にしていて、かつ、周りにいる人を愛している人」が内面的に美しい人だと考えています。内面を磨くとは、自分の心身を磨きながら他者も大事にすることを意味します。自分と他人を分け隔てるのではなくて、一体だと思って大切にする。マナーがわかりやすいですが、マナーレッスンは、自分自身を美しくするとともに他人への心配りも向上させるんですね。自他ともに幸せになれるようにするというか。だから、「自分も他人も環境も、すべては一つ」という意識で振る舞いを学べば、それが内面を磨くことになります。究極の思いやりです。

――貴代美さんがみなに伝えたいと願っていることの輪郭がはっきりしてきました。

思いやりとは「自分と空間を同じくしているすべての人が嫌な思いをしないように『どう行動するか』『何を話すか』『どういう空気感を出すか』に心をめぐらせること」だと私は思っています。あらためて確認しますが、その思いやりを洗練させる上で大切なのが、自分の内面・外見を磨くことです。自分が自信をもって「太陽のように」光ることができれば、明るさに引き寄せられるようにして自然と人も良い環境も寄ってきます。もちろん光があるところには影もありますから、キラキラした「陽」の側面も磨きつつ「陰」とも向き合いたい。嫉妬や怒り、恨み、苦しみ、悲しみといった自身の内面とも丁寧に向き合って、上手につき合っていく。そこができれば、あたかも陰影の美しいポートレートのように、内側から湧きだす美しさをたたえた美を外面的にも出せるようになるでしょう。

また、もし「もっと上のステージに上がりたい」と思うなら、そのステージに「ふさわしい自分」へと自分磨きをすることが大事になってきます。まず自分自身を変えていく。そうすれば「いつの間にか」「自然と」上のステージに上がれていると思うんです。「自分磨き」「自分を綺麗にする」とは、自分が変わることを意味するんです。もっと言うと、自分を変えることを「楽しむ」のが、自分を綺麗にすることの醍醐味です。自分磨きは、時に大変です。でも、綺麗になりながらだったら、それも楽しんでできるじゃないですか。そんな価値提供を私は多くの人にしていきたいと思っています。

――興味深いお話、たいへんにありがとうございました。

[毛受貴代美さんのInstagram]

[オフィシャルサイト]


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