[書評]倫理やリテラシーが宙に浮かない仕組みは〈遅い〉インターネットで。
インターネットにはかつて「大きな理想」が抱かれていた。キーワードは「公共圏」。社会的な立場や学歴・年齢等に関係なく、皆がフラットかつ自由に議論できる「公共の場」としてネットが機能し、草の根的なコミュニケーションが広がるのではないか。それが熟議を生み、民主主義をより健全化するのではないか。そう期待する人たちがいた。しかし、今これを口にすれば、夢想家と断じられるかもしれない。
1995年、Windows 95が拡販され、ウェブは生活の場へ一気に浸透した。あれから25年。果たして