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週間レビュー(2023.10.08)_ロングライフな技術とよるべなさの技術

インフルエンザA型に罹患したのもありここ数日忙しさが落ち着いた。(とはいえやらないといけないことが全然進んでおらず焦っている。)高熱にうなされながら、自分のことについてもゆっくりと考えることができている。動くことと止まることのバランスは大事だと思うし、今回こんなに高熱を出したのは身体的なアラートだったのかもしれない。そしてすっかり寒くなってしまったけれど、夏の期間にしていたことや旅行や視察のことなどどこかでまとめたいと思っている。

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ずっと企画してきた、HUB&STOCK豊田さんのレクチャー会の事前視察で余剰建材を保管している倉庫を見せてもらった。そして豊田さんから直接質疑応答の時間をいただく。

見るだけでも数トンの余剰建材があり、その発生原因が建築生産のシステムにあること、 BIMなどが発展したとしても生まれる新品の建材廃棄や、建材の廃棄物処理による自然災害など、新たに建築する行為が生環境へ及ぼしている問題はかなり根深いと思った。建築廃棄物によって山が崩されていることの事実や残り数十年で埋め立てる場所がなくなるなどのことはちゃんとリサーチをかけるべきだと感じる。

あと特に、これは難しいし自分も実務的な見識が薄いのでよく理解できているか怪しいのだけれど、工場を見て、全てが新品の部材・材料で建築空間を構築する前提の設計の時代は終わりを迎えるかもしれないと感じた。産業廃棄物と位置付けられてしまうものや二次利用、解体材などを用いた上での設計能力やデザインスキルなどが拡張する時代に変わることができるか?が大事なテーマになるのではないか?と考えたりしてしまう。

HUB&STOCKの余剰建材の購入者の中には素人大工的なDIYを実践するコミュニティ等も多いという。「自ら作り、知識を共有するHUBである」という意味があることも素敵だし、建材に想像力を持ち、空間や場所を自ら作る市民の力みたいなものがもっと拡大すると良いなと感じた。

週の半ばに開催したレクチャー会は自分はインフルエンザで参加できなかったが、いい時間になったらしく良かったと思う。

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あと今週の前半はプロジェクトの進捗が感じられるミーティングが多数あった。コンペの結果も届いてちゃんと入賞していた。着々と進めていくといいことがあるし、まだまだやりたいことの規模や目標に対してはここからだと思う。一つのことに特化せず、アジャイルで複数のプロジェクトを相互に編み合わせているので、成果が見えてくるのは直線的ではない。

なかなかチームで物事を進めるのは難しいこともあるし、クオリティに対しての折衷点、進め方のリテラシーなどは難しい。普段が年齢のかなり上の人とプロジェクトチームになることが多いからこそ色々見えてしまう。けれど同世代の場合はそこに拘ってはいけないのだと思う。目的に合わせて動き方は自分が変われば良い。

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企業の未来像のようなものについて話していて、やはり大きな企業や長く続く企業は経済的に成立していた与条件が外れたら解体(看取り)されるべきと感じた。新しい価値とか本質的な課題解決はここから生まれないのではないか?。インテリのベーシックインカムとしての価値創造(新規事業)は泥臭さや生存をかけたものには勝らない。上層部は高圧的で社会に対する謙虚さを失う。物理原則としてのエントロピーの法則や企業組織にも働くし、社内起業や社内研究はぬるさに片足がある。

価値転換や設計力が全くついていけてない。むしろ個人が未来を作ることに食い込める時代だし、長すぎること大きすぎることなどは衰退の原則に逆らえないのではないかと思った。自分も70年続く組織に属したことがあるので所感としてその維持や普遍化に働く力のようなものがいかに強大か、内発的な変化を起こすことが難しいかを理解しているつもりである。しかし、5年自分が生きるのは良いけど10年は難しそうだと思った。最適な組織スケールと時間軸が存在するのではないかと思う。

話の中でもう一つ興味深いと思ったのは「ロングライフ・過剰品質」の話である。ロングライフ…特にハウスメーカーなどがマーケティングとして性能規定していたりするワードだと思うが、本当に製品のロングライフは良いのだろうか?ロングライフと作る技術とは如何なるものなのだろうか?

概して日本の詩人たちが浮巣を見る時の目には彼らなりの伝統的な心理的傾斜であるある種の悲壮感が付き纏って離れない。水上の上の家は”よるべないあわれなもの”としてとらえられ、人間の命や住いの儚さの表現に使われていると解説されている。それが”よるべないあわれなもの”として思えるのは、それを眺める人間の側の「よるべなさ」によるのだが、つまりはそれほど日本人の住まいに対する感覚が儚いものとして捉える傾向が強いということになるのかもしれない。

ロングライフなものは人工的な世界を普遍化させ日常化しまう気がしている。長くあって欲しいと願うことが個人の経済的利回りによって成立している状態は正しいのだろうか。少なくとも生環境には良くないように思うし、酷くエンジニアリングであり改変不能なものだと思う。ロングライフが成立している期間では廃棄が出ないので良いというのだろうが、しかし廃棄というのは欲望であり、ロングライフは廃棄の欲望を抑える行為をしなければ成立し得ない。つまり「買って捨てること」で満たされてる時代では成立し得ない。またどのスケールでロングライフなのか?という話だが、スペースをロングライフにしようとし循環的に捉えたメタボリズムはうまくいってない。菊竹も言及しているがムーブネットのような木造建築はロングライフだが強い技術ではなく、畳などの規格の移動があるからこそ成立しているのだ。過剰品質やパーソナライズを産ませているのは消費者のなんの欲望になるのだろうか、その欲望が技術を育てていると言えるのかもしれない。
私はむしろ「よるべなさ」の技術、つまり儚い技術やブリコラージュ的な技術の汎用性、物質に向き合う技術性こそ新しいベクトルのような気がする。

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インフルエンザの初期は発熱がひどすぎて、現代アートのような夢をずっと見ていた。さつまいもばたけの夢と都市から触手が伸びているのが日常な夢…なんか他にも色々見たが覚えてない。しかし体と頭がすごくスッキリしていて、ちょっと自分が謎に更新されている感がある。

ちょっと考えていたのは今後どんなデザインをしたいんだろう〜という話。一つ本当は卒論にしたかったのだけど、社会運動や非営利としての建築とかはトライしてみたい領域で来年生きるならこれがテンションが上がるみたいだった。アーキテクトは資本体系的に体制側につく事が多いのだけど、デザインと共に社会運動やポリティカルな活動を繰り広げたアーキテクトについてまとまっていたりする本はないかしらということ。プルーヴェとかかなり生き方としてベンチマーク。

家具デザインだけに留まらず、戦時中はレジスタンス運動に関与し政治活動を活発に繰り広げ、地元の人気を得てナンシーの市長にも選出されました。

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発熱の最中は2本のアニメを見ていた。五等分の花嫁と青ブタ野郎を見ていた。五等分の花嫁は自己承認と尊厳、アイデンティティのお話。初め王道ラブコメ調だが途中から社会学的、メタファーを表すシーンも見えてきて楽しいアニメだと思う。この考察ブログがなかなか的を得ている。

見ながら、共感していたのは上杉と四葉だった。自然と高校時代のことを思い出してしまう。アイデンティティを得るということは自分が自分であるとどのような状況であっても認められることであると思うのだが、この五つ子という差異のなさ、そこから離脱して外面ではなく内面的自己認識や承認を獲得していく過程の葛藤は色々考えてしまう。自分は上杉のように勉強=必要とされる人ということをどこで抜け出すことができたのだろうかと思う。覚えている限りだと高1だろうと思うけれど、なぜそこがアイデンティティに対してフックになったのだろう。そして現に、この前の京都旅行でもGPAの話や成績が良いといい研究室に行けるからいきたいなどの相談を大学3年からですらされる。彼らは21-2そこそこなはずだが….アイデンティティの居場所を求めていたり、インテリの再生産となることを求めている。なんだかとても歪であるな…と日々思う。かといって四葉ような振る舞いにはインテリはならない。無償で助けることなどは少ない、常にその幅が決まっているようなのだ。全力で仲間を助けるみたいなことをしない。今の自分はむしろ四葉ようであるかもしれない。強烈な自己を求めることや1人で幸せになろうとすることをどこかで恐れていると思う。
しかし本当にラブコメと思いきや社会派ですごい構成だと思った。

青ブタ野郎はちょっと涙なしでは見れない。青ブタは現代社会の精神病と個人、そして時を移動することによる人と人の決断の残酷さを示しているように思う。現代社会は物的な問題よりも心の課題の方が大きいことも感じ取れる。こちらもラブコメ路線なのだけど、そもそも雰囲気が良い、しっとりと虚虚な雰囲気の中で進んでいく。生活的な感じがあるし、超ひも理論やラプラスの悪魔などの理系にとってはおおっとなるフックがある。本当に秀逸だと思う。時を紡ぐというのは個人や環境による決断の連続である。決断がなければ時は観測できない。毎日を更新できるのは自動ではない。常に何かの決断の中で進んでいる。だから、「誰と過ごすかを決める」というのはとても残酷でそして愛のあることなのだと思う。普遍的なものを作るのが建築ではあるけれど、建築はこのような決断を支える道具になっているのかもしれないな。もう一度見たい作品、12月に最新話の映画が公開されるので楽しみ。

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体調も良くなったけれど、外出ができないので部屋でゆっくり卒論を書く。10月は本当に忙しないのだけど、色々インプットもあって心が晴れやかなので頑張れると思う。

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