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「決断」の物語として、「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」を読む (※ネタバレ有り)

今年の夏、「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」を見た。もう2ヶ月くらい前のことだ。小説でいえば、「青春ブタ野郎はハツコイ少女の夢を見ない」と「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」にあたる話だ。

いまから盛大にネタバレをしながら、この物語について考察する。私にとって、「決断」と「時間」の2つは思考の中心を貫く概念である。青ブタも考察の仕方は様々だと思うが、ここでは「決断と時間の物語」として読む。

咲田の決断

咲田に突きつけられた決断は、自分が死んで牧之原翔子を助けるか、自分は助かって牧之原翔子は死ぬに任せるかの2択であった。ここで、咲田は自分の命と他者の命を天秤にかけることを迫られている。

咲田は、牧之原翔子を救って自分が死ぬことを決断した。それは咲田が誰かを犠牲にして自分だけ生きることが耐えられなかったからだ。咲田はたくさん悩んだように見える。しかし、実のところ、咲田の腹は最初から決まっていたのだと思う。

咲田にはずっと返したいものがあった。大きな翔子がくれたものをきちんと返したい。二年前にも救われて、つい先日も救われた。人生が何のためにあるのかも教えてもらったのに、その翔子から一番大切なものを奪うなんてしたくなかった。

人生は決断の連続である。無意識の決断や決断しないことも含めて、決断の連続で人生は形成されていく。

決断には重要度がある。大切な決断になるほど、後戻りがきかなくなる。だから難しい。しかも、勇気も必要だ。

大切な決断は過去に引っ張られやすい。決断をいざ目の前にして頭をフル回転させても、それまでの人生で刻んできた足跡が無意識に影響する。

それは、いつの間にか、ある選択肢を選ぶこと、つまり別の選択肢を選ばないことが、自分のそれまでの人生を否定することを意味するようになるからだ。だから、どうしても片方の選択肢を選べなくなる。

咲田にとって、翔子を死ぬに任せることを選択することは自分のこれまでを否定することを意味していたのだと思う。咲田が生きる意味は翔子に教わったものだ。だから翔子を犠牲にして生きることは論理的にできなかった。

見落としていた選択肢

しかし、そのとき咲田の目の前にあったのは、自分が死んで牧之原翔子を助けるか、自分は助かって牧之原翔子は死ぬに任せるかの二択だったのだろうか。いや実はそうではない。咲田の決断に見落としていた側面があった。

それは麻衣の存在である。もっといえば、残された者の存在である。咲田が死ぬということは麻衣は最愛の人を失った状態で生きていくということを意味する。しかも、麻衣には咲田が死ぬことが分かっていた。それゆえ、喪失感だけではなく、罪悪感や後悔の念も麻衣は背負うことになる。咲田はそのことに気付いていなかった。

いや、正確にいえば咲田には気付くチャンスは山ほどあった。麻衣は残される側だったから、咲田が見落としていたこの側面を必死にわかってもらおうとする。咲田はこの側面に気付かないようにしていたのだと思う。

(麻衣)「勝手に諦めないで……」
(咲田)「……」
(麻衣)「ひとりで決めないでよ」
(咲田)「こんなこと、麻衣さんに背負わせらんない」
(麻衣)「私は咲田のなに?」
(咲田)「恋人」
(麻衣)「だから、一緒に背負う」
(咲田)「……」
(麻衣)「翔子ちゃんの命を……」
(咲田)「……」
(麻衣)「生きることを背負うから……」

実のところ、「決断の物語」と、「喪失の物語」は、表裏である。決断には必ず喪失がつきまとう。そして、決断する時点で喪失を予想することは難しい。喪失が自分にとってどれほど耐え難いものであるかも、事前に実感することはできないことが多い。

咲田は「罪の意識を背負うのが誰か?」という観点から物事をみていなかった。咲田を救えなかったという罪の意識を背負いながら、咲田のいない日常を生きる麻衣のことを、咲田は考えていない。一方で、麻衣は「私が2人分背負う」と罪を背負う覚悟を見せている。咲田の決断は、自己犠牲のように見えるが、残されたものへの配慮をしていないのだ。

咲田が「残されたもの」という観点を見落としていたツケは、第三の選択肢が実現することだった。その第三の選択肢は、麻衣が咲田を守ることで、麻衣が死に、咲田と牧之原翔子が生き残ることであった。

もう一つの決断

咲田が残され、麻衣が死に、麻衣の心臓で翔子が助かる。その選択肢は咲田にとって予想外だった。なぜならそれは咲田の決断ではないからだ。ほかの誰かの決断だったからだ。

そして初めて咲田は「残された者」の側に回ることになった。そして、咲田は「残された者」の生活を、人生を知った。咲田が「残された者」となったときは、まさに絶望の底だ。咲田は絶望のあまり目の前の現実を、現実として受け止められなかった。

悲しみの存在を否定することで、咲田は麻衣の事故の事実を否定しようとしていた。死の事実を拒絶していた。

結果として咲田が取り残される側になったとき、咲田の決断は変わった。咲田は麻衣のいない生活に耐えられなかった。灰色に塗りつぶされた生活を何十年も続けていく絶望を咲田は身をもって知ってしまった。

加えて、残されたものが背負う罪の意識に耐えられなかった。咲田は、麻衣の親から「麻衣を返して」と言われ、麻衣の告別式には全国からファンが駆けつけるのを観た。自分が生きていることそのものが麻衣を死なせた罪の上になり立っているという事実に耐えられなかったのだ。

こうして咲田は決断を変える。時間を巻き戻して、牧之原翔子を助けるのを諦め、自分が生き、麻衣とともに生きることに決めるのだ。咲田が最初から向き合えなかった現実、つまり牧之原翔子を選ぶことは麻衣を捨てるのだということを身を以て実感し、決断は変わったのである。

決断し直すために

咲田は再度決断した。今度は、麻衣との未来を選ぶことを決めた。それは麻衣と2人で罪の意識を引き受けながら生きることである。牧之原翔子を死ぬに任せることである。

咲田が決断をやり直すために必要だったのは、「弱さを信じる」ことだ。この、弱さを信じることでしか決断をやり直せないというのが、青ブタを貫くテーゼであると思う。

(翔子)「その弱さを信じることが、今を『未来』だと認める第一歩なんです。ここが『未来』なら、咲田君は『現在』に行くことだってできるんです。麻衣さんを助けることだって」

時間は巻き戻すことはできない。しかし、時間を認識上の問題と捉えれば、巻き戻すことだってできる。青ブタはSF小説でもあるから、物語の内部では時間は巻き戻っているのかもしれない。でも、実は時間は巻き戻ってなかったのだと読んだほうが僕にはずっと面白い。

決断をするときに、自分の弱さを信じること。決断するときに、強い自分を前提にしてはならない。弱い自分にも声を傾けなければ、あったはずの選択肢に向き合えない。その選択肢に向き合うことがたとえ弱い自分と向き合うことだとしても、その弱い自分を信じなくてはだめだ。

咲田にとって、翔子を見捨てて麻衣と生きることを本当は望んでいたが、それは自分に生きる意味を教えてくれた翔子を見捨てたいという弱さをそのまま反映するものだから、その選択肢は端から認められたものではなかった。

最初から認められない選択肢がある状態で、どうやっていい決断ができるというのだろう。その決断と向き合ってもいないのに。

物語で咲田は実際に経験してみなければ、真剣に麻衣と生きる選択肢を検討しようとしなかったが、実際には、その選択があることはわかっていたのだから、経験してなくても正面から向き合えば正解はわかったはずだ。だからこそ、咲田は「未来を拒んだ」のである。

運命を決める十二月二十四日など、永遠に来なければいいと咲田は思った。きちんと答えを出さなければいけないと思う一方で、それ以上に膨れ上がった後ろ向きの感情と咲田は戦っていた。選びたくないとひたすらに暴れる感情と向き合おうとして、向き合えたつもりでいて……やっぱり、向き合えていなかった

どの選択肢も平等に、誰かを不幸にするような決断というのはある。それはリーダーとして生きる人生でなくても、この世界に、この社会に生きる限り誰にだってやってくる。

その瞬間がやってきたとき、自分の「弱さ」は、自分にとって一番向き合いたくない選択肢をそもそもなかったことにしてしまう。その結果、本当は向き合わないといけないと思いながらも渋々下した決断は、重く深い後悔に変わるのだ。

弱さを信じることさえできれば、決断はやりなおせる。もし人生が決断の連続なのだとしたら、自分の弱さを抱きかかえながら生きることが、自分が心に望む決断を積み重ね、豊かな人生につながるのかもしれない。

少なくとも、物語では、咲田は自分の弱さに向き合うことで、決断をしなおすことができた。

エピローグ

ここまで、咲田の決断を主軸に物語を観てきた。咲田はやり直さければならなかったが、実は牧之原翔子はそれ以上に何度も決断をやり直している。ここまで述べてきた、弱さを信じることが決断をやりなおすことだというテーゼは牧之原翔子にも当てはまる。

「わたしが、ちゃんとやり直してきますから……わたしと咲田さんが出会わない未来を作るために……」

最後の最後で、自分の弱さを直視し、だからこそ最後に決断をやり直すことができたのは牧之原翔子だった。それが物語の美しさを何倍にも増幅している。

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