光の溜まり場

あけましておめでとうございます。

今年は自分のために生きよう。
そして、年が明けてめでたい日くらいは明るく朗らかな言葉を選んで日記を綴ろうと思う。

年の瀬、InstagramTwitterに昨年のことを振り返った文章を書いた。
鬱に近い病名をもらい、かねてからの文章を書きたいという思いでnoteを始めた。
伝わりやすい言葉選びや文章のテンポ感を養う練習、そしてなにより自分を知る良い機会となった。
今年も肌で感じたもの、そこからシナプスを通り脳内へと送り込まれる情報、それを処理し呼び起こさせる心情を、ただ直向きにつらつらと書いていきたい。

朝が来て陽が昇り、反対方向に緩やかに落ちていき、夜が来る。
夜は人工的なもの以外は変化が少なく、いつまでも続くような気がして夜を更してしまい、気が付くと辺りは明るく光が滲み出す。
そんな当たり前のことを幾度も経験して、ようやく自分という人間と向き合うことができるようになってきた。
いつかそういった嘘偽りのない、晴れた日の光のようになりたいと思い書いた曲は、リリースから一年を迎えたようだった。
新しい年の新しい投稿は、自分が身を掻きむしりながら生み出した作品の日記にしようと決めていた。
Rosy Nihilistsは楽観的な虚無主義者という意味で、ポガティブやネジティブなど、白黒はっきりできない自分のために書いた。
この文章を読む方の中にも共感して下さる方が居ると有難いが、人と違うということはとても苦しいことだ。
僕の苦悩を、それと照らし合わせる各々の胸中を、シニカルな物言いだが道化を演じるように明るくパッケージングしたのが本作だ。
宣伝臭くなるのは本意ではないが、ほんの少しでも心の同じところに痛みを感じる人には、聴いて欲しい。
きっと、誰でもない、僕にしか書けない音楽がそこにはある。
誰かのために音楽をするなんて大それたことは言えないけど、苦しむ人が自分で自分を虐める前に僕の音楽と出逢って、そんな必要もないくらいの衝撃を受けるのならばこれ以上の幸せはないのだろう。
そういった、僕のように弱い人の光で在りたい。同じ光の溜まり場を心の中で共有し合いたい。

良い夜を。

平手に代わる言葉
恙無く生きて、人間をやめたよ
あとは名前を頂戴
少しの間だけさ、ゴミに埋もれた

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