はきだこ 第八回 あぐら女
あぐら女はかく語りき (急)
パンコと嘲笑され語り草になろうとも、彼女は忽然と姿を消すつもりでいた。
実際、数年は行方も知れず放浪するヒッピーとして生活を続けていた。
リストラクチュアリングとブラッシュアップに関する打算的失敗への内省がなかったわけではない。
ただその素振りは見せないようにしていた。
少なくともロックスターの訃報を耳にするまでは。
詩と音には整合性というものがある。
どこにでも誰にでもある愛を身勝手に投げつけるのではなく、彼女自身の中でずっととぐろを巻いていた途中式を淡々と、且つ答えに向かおうと吐露する音楽を欲する。
そこに詩と音の整合性を見い出し、共感覚として自分自身を信用したかった。
それにはノイズを散りばめる必要があった。
ノイズは彼女の脳内であり、ニューロンであり、血液のざらつき。
ノイズは生活であり、流動的な人間の挙動であり、朝起きて夜眠るまでの取り止めもない野望。
ノイズは細やかな粒子の移動であり、蛋白質が不均一なことであり、魂の器としての差異。
全てを受け入れて、全てを吐き出して、全てを残す。
形成する。
ただそこに在るものとする。
彼女のリビドーは日を増すごとに膨張し、欲求不満で自堕落な生活の切り口を探した。
溌剌とした感情は、シンナーが残留し崩壊していくようにもはや原型を留めていなかった。
それは突然、至極当然のように破裂し、生まれた。
子宮を介した二度目の誕生。
カンダタの気持ちだ。
これがロックンロール。これがノイズ。これが生。
屈んだ頭を打ちつける反響音がまた、彼女の心地を良くしていた。
何度でも蘇る。
此処じゃなくても良い。
彼らじゃなくても良い。
ただ自分のために彼女は声を荒げた。
誰も耳を貸さなくとも、彼女は自身を認めるために生き、朝を迎えることにした。
風上に赤い花を添え、彼女は独りになった。
今作は正木諧ソロプロジェクト Low-key dub infectionによるあぐら女というバンドについて綴られた「アグラオンナはかく語りき」を加筆修正した短編小説です。
とはいえ、原型はないに等しいので同じ思考回路を紐解いた作品だと捉えて頂けると幸いです。
いつもと趣向を変えて、曲単位ではなくバンドの意図を短編小説として書きました。
形式は保つので以下歌詞もあとがきもありますが、性質上、続き物となってしまいます。ご容赦ください。
おはよう by あぐら女
笠雲が乗る空 しじまに赤い音
若くない咆哮 幾何学になる肉
震えてるプシュケー 風はまた泣いて
光を見たんだ 乾いてく空で
おはよう
正すために生きて 死ぬために笑った
哀しくなんてない 君が居てくれたら
震えてるプシュケー 風はまた泣いて
光を見たんだ 乾いてく空で
おはよう
あざみが枯れていき 皮膚を切り付ける
狭い管通り 痛みの真上を過ぎていく
十月十日 朝 生まれる心と
屈んだ頭を打ちつける反響
おはよう
はきだこ 第八回
「あぐら女はかく語りき」完結。
今回はあとがきも兼ねて長文を書く。
正直言って僕は内向的で、他人に自分の心の内を晒け出すことが苦手だ。
必要な場面では真摯に向き合うため脱ぐが、他人の心情を察す能力に長けていると自負しているので基本スタンスは調和だ。
そんな僕がわざわざ大衆の心を乱し、協調性の欠片も持ち合わせない人間を演じる表現方法を選択したのには理由がある。
バンドというものは生き物であり、人々は停止地点である作品よりも、連続性のある物語を重視することがしばしばある。
セックス・ピストルズのシド・ヴィシャス然り、オアシスのギャラガー兄弟然り、物語性を全く無視して作品に触れることは少なくとも僕には難しく、勝手に共感したいと考えてしまう。
過激なアプローチで反感を買うことは百も承知で、やったことのない音楽性というものを、音楽以外で表現したかった。
何せ音楽は芸術だ。
それには学び舎の4年間を利用することが最も効率的であり効能的であると考え、あの悪魔を生み落とした。
リバイバルのきっかけは鮎川誠の死だった。
彼が特別僕に多大な影響を与えたとは言えないが、何か湧き上がるものを感じた。
ちょうどヤードバーズのTrain Kept A Rollin'を聴いていたせいもあるかもしれない。
自分でも何を思ったのかわからないが、きっと「あぐら女はあの終わり方でよかったのか」という迷いと、ネタバラシせず終わる美学もあると斜に構えたことへの後悔もあったのだろう。
とにかく思考よりも先に当時の長に連絡し、出演を取り付けた。(メンバーが変わったことについてはあまり濃くない長い話になるので割愛する)
公演は4月2日。
僕と忌野清志郎の誕生日。
そこで僕は、生まれたままの姿で、生まれる愛について歌う。
これからあぐら女としての活動を続けるか否か、そんなことはどうでもよかった。
ただあの役とは決別する覚悟を持って臨んだ。
この日のために塗った真っ赤なギター。
当時の長から譲り受けた破けすぎたジーンズ。
あの頃からタンスの奥で窮屈な思いをしていた赤いシャツ。
ジャズコーラスから直接流すSEは、この日のためにリミックスした岡林信康のくそくらえ節。
「くそくらえったら死んじまえ」のシンガロングがギターのフィードバックに掻き消される。
ノイズは心地が良い。
赤いギターに腕を振り下ろした。
あぐら女について
2015年、某国のはみ出し者として正木諧、クサカ・ジャイロ・M・ヒト、ぺちかれんの3人によって結成されたロックンロールバンド。
「SEX」「ガンジャ」と悩むも「あぐら女」と命名し活動を始め、翌年に張利が加入。
現在の音楽的役割を確立した。
当初よりただの「良いバンドだった」で終わりたくないという思想を持ち、危険人物として在るために画策。悪魔的でリベラルなプロモーションの末、見事悪名高くも唯一無二で孤高の存在となる。
処女作「真っ赤なアネモネ」に次いで、「文句たれ」「シガレット」「君の街の駅に着くまでは」を制作し、当局の秋季祭典で世間の目を集める。
続いて「ブルース」「太陽」「王様が笑った日」「エンドロール」を抱え"agrabitch is beautiful"という作品を残し、2018年に2年半という短さで生まれ故郷を捨て、各々の旅路に就いた。
2023年、正木諧、園田陽己、ジャイロ・ひなせ、田中菜摘の4人でノイズロックンロールとして再結成。
「藍色の宇宙」「灯火(エンドロール rearrenge ver.)」「おはよう」を引き下げ帰郷した。
当時の作品"agrabitch was wrong"を最後に、当初の目的を達成したため過激なプロモーションに終止符を打った。
現在、正木諧はdatkidsというロックンロールバンドとして活動中。もちろんあぐら女とは全く違うプロデュースで打ち出し、ロックンロールとは何なのかを追い求める日々。
彼を除くメンバーは皆、音楽から身を置き各々の生活を辿る。
あぐら女で気持ち良くなった、都合の良い男人たちへ。
シンパシーを感じた、美しく汚れてしまった女人たちへ。
迷惑を被りながらも、一挙一動が気になってしまった被害者たちへ。
痛みの真上を過ぎる耳鳴りが感情を追い越した、全てのセックスフレンドたちへ。
心より感謝を伝えたい。
共に美しく在ってくれてありがとう。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?