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りあるマザーファッカーの告白

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”りある”マザーファッカー★ノンフィクション★アルコール依存症克服【出生】1977 年新宿【教育】歌舞伎町・都営団地【中毒経験】アルコール(寛解※通院中)・軽ドラッグ(寛解)・ギ…
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#ドメスティックバイオレンス

悪魔再降臨

入院 母親は、オレが小学校3、4年ぐらいの時に女子医大に入院した。 たぶん入院した時は母親の病気は前向きに捉えていた時期だから、3年生ぐらいだと思う。色々調べれば正確な時期はわかるが、頭の中には残っていない。たしかあの担任の先生時だったと思うぐらいの記憶だ。 (これまで書いてきた出来事との前後関係は覚えていない。) 父親の苦肉の策だった。 母親を説得し、納得させた上で前向きに病気に向き合った。 少なくともオレと父親は心底向かい合った。 母親も瞬間的にだが今後の人

りあるマザーファック(D)

MJ いま文章を書きながら思い出している。 母親とのフェスについて。 おそらく回数は4回だ。 性交渉と呼ばれるのは4回。 1回目はMJを握られた。それで終わりだった。 2回目は「お尻に入れてみて」だった。 2回目のあとの話がよく思い出せないのだが、3回目、自らそういう行為をやりたいと自分が思った記憶がある。 おそらく3回目は自分から行為におよぶように促したと思う。 すんなりと了承を得て、おしりに入れようと頑張ったが無理だったので、 母親が 「お口に入れて

りあるマザーファック(C)

菊のラビリンス 2回目は母親の目的がはっきりした握り込みだ。 実の子のちんちんを立たせ、自分の快楽のために使用するマジカルスティック(MJ)にするためだ。 オレの視点だとMJの目的は定かではなかったが、しっかり反応し、生物としての性を全うしていた。 「おしりに入れてみて」 かな。 重要な言葉をよく覚えていないが、ファミコンではしゃいでいる小学生に、母親の言葉は非合法に認定して欲しいほど性暴力極まりなく、人生を変える強烈な淫語だった。 とにかく菊のラビリンスへの

りあるマザーファック(A)

オレはやっちまっている 小学校の時、友達の家に行くと胸が絞られるような違和感を覚えた。 幸せそうな家族がオレの心を締め付けた。 仲良さそうな夫婦に、3つぐらい上の兄貴、まだ幼稚園に通っていた妹、そして三階建の一軒家。友達の家は当時日本テレビのゴルフガーデン横、新宿5丁目にあった。 数分で四季の道の入口だ。かなりのところに建っていた。そんな立地とは思えないぐらい柔らかく、しなやかな時間の流れ。遊びに行くと今でも忘れられないぐらいの締め付ける感覚が毎回あった。 その経験は

アル中のトマトケチャップの使い方(C)

グダグタなアル中痛がる母親を見て不安と焦りが入り混じる。 解決できず、近所のにいちゃんばあちゃん宅に逃げ込んだ。 大量出血じゃないし、母親は大人だし、救急車を呼ばなくても解決できるはずだから、その場を離れても大丈夫。 そんな感じだったと思う。とにかく不安と見えない先々で最悪だった。 このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコール依存症とバイセクシャルという特異な両親に囲まれ、酩酊した母親と強制的に初

アル中のケチャップの正しい使い方(A)

失禁と古銭小学校3,4年の時はよく母親と喧嘩をしていた。 お酒を飲んで壊れる母親を認めるわけにはいかなかった。 一緒に外出するとどこでも泥酔するまで酒を飲み、人に絡んだり、大声をあげたり、とにかく恥ずかしい思いを何度もしていた。 当然、酒の入った状態で母親と出かけたくなくなる。 大好きだったが、恥ずかしい親というのは子供にとってかなりのストレスになる。 このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無垢な小学生時代に、アルコー

面前DVエブリナイト

ド派手なDV鑑賞会オレンジ色の豆電球の薄明かりの中、泥酔の母親が毎日包丁を振りかざし、父親の首を刺そうとしている真夜中は、 別に大したことない。 普通のやりとりだ。 大人の喧嘩はこうなんだ。。。 刺す気はない、本気じゃない、男のお父さんの方が力が強いから絶対に刃物が首に到達する事はない。。。 薄眼を開けながらド派手なDV鑑賞会。。。 それが毎日続く。毎夜毎夜つづく、、、 このコラムは、ある荒廃した家庭に挑んだ、1人の青年の記録である。新宿に生まれ育った無

バイとバイとの息子(C)

トンコ小学校に上がる前、母親は、肘下からか、手首からか、右手がないトンコという女性と一緒にいた。 片手がなかったからオレもよく覚えているが、そのトンコ、母親が寝ている隙にどこかのポケットに入っていたお金を盗もうとしたと珍しく激怒していた事があった。母親が犯行に気付き、未遂で終わったみたいだった。 窃盗はどうでも良いのだが、今考えると盗まれそうになった時、一緒に寝ていたのか、何をしていたのか、よく分からない。バイな母親は、、、と考えてしまう。 既婚者の母親がどこかの部屋で女性

バイとバイとの息子(A)

生まれた昭和52年渋谷の松井医院。 大好きな両親からオレは生まれた。 ずっと新宿で育つことになる。 小学校5年生まで住んでいた新宿六丁目、最寄り駅は最寄りになく、新田裏というバス停が唯一の交通手段だった。 新大久保駅と新宿駅の狭間にある悪いとこ取りの立地だった。 歌舞伎町には徒歩か、自転車だ。 酔っ払いがいるとタクシーだ。 金物屋、天ぷら屋、スーパー、催事場、ペットショップ、乾物屋、お茶屋、クリーニング店、寝具店、肉屋、八百屋、理髪店、花屋、駄菓子屋、酒屋、居酒屋、パン屋

ランドセルを置き安酒をシンクに流す(B)

電線越しの夕焼けと煮物の匂い サイドボードの前には白い冷蔵庫。 北西向き、ほぼ日陰のアパートにピュアな感じで白く佇んでいた。 まともに開くスペースがなかった小さな冷蔵庫の扉の中の記憶はほとんどないが、冷蔵庫上に設置されていたえんじ色の電子レンジにはよく助けられた。 空腹を満たす時に電子レンジでジャガバタを作るのが大好きだった。 友達が来た時は、みんなに振る舞った。 いつまでもオレの家にいてくれという願いを込めて美味しくできるように熱の通りに細心の注意をはらってもてなした。