シェア
不思議な話をする。 彼と一ヶ月連絡が取れなかったときのこと。 とても不思議な感覚なのだけれど、「彼は今体調を崩しているな」「葛藤しているな」という直観があり、わたしはあえて連絡をせずに過ごした。 その直感の要因は、そのとき何度も繰り返し見た夢である。毎夜眠ると、彼が苦しげに顔を歪めている様子や、布団の中で蹲っている様子を夢に見る。やけにリアルで、朝起きてもはっきりと覚えている夢だった。 さらに不思議な感覚は続き、例えば一日の終わりに湯船で一息吐いたときや、夜に布
最近、彼の様子がおかしい。 出会って六ヶ月目。敬語のまま続いていたメッセージのやり取りが、急にタメ口になった。絵文字のレパートリーが増え、音符までついてきて、ちょっとだけテンションが高い。 会ったときも今までより階段一段分くらいテンションが高く、終始楽しそうで、指摘こそしなかったものの、正直わたしは戸惑った。 わたしたちはお互いNGがあり、逐一それを記憶し、嫌なことはしないというスタンスだった。 例えばわたしには、触れてほしくない身体の箇所がいくつかあり、今ま
二ヶ月半ぶりの、正式なハグ会だった。 なんだか彼は最初から楽しそうだったし、積極的だったし、ちょっぴり意地悪だった。 真面目で誠実で優しくて穏やかでとびきり頑固なのが普段の彼だけれど、それより階段一段分くらいテンションが高かった。 やはり二ヶ月半も空いたせいだろうか。 わたしはわたしで、連日早朝からの勤務で疲労困憊の寝不足。約束の時間まで仮眠を取るつもりだったのに、疲れ過ぎて眠れず、くたびれ果てていたのだけれど、彼のご機嫌な様子を見たら、そんなことはすっかり忘れ
彼はとにかく、わたしを撫でる。 何度も何度も、何分でも何十分でも飽きずに撫で続け、彼との逢瀬が終わる頃には、髪がめちゃくちゃになっているのはいつものことだ。 撫で方は多種多様であり、「ぽんぽん」だったり「なでなで」だったり「わしゃわしゃ」だったり「よしよし」だったり。 そのときの状況によって撫で方は変わり、例えばわたしが仕事で過酷な連勤が続き疲れ果てていたら「ぽんぽん」だし、例えばベッドの中で他愛のない雑談をしていたら「よしよし」だし、例えばふたりで大笑いしていると
彼は自他ともに認める頑固者である。 不定期で開催している「ハグ会」という名のデート予定日の数日前に「周りでインフルエンザが流行っているから今回は中止にしよう」という連絡が入った。 彼の職場や周囲や居住地域で何人も感染者が出ているらしく、念のためハグ会を中止にしようと言うのだ。 彼は予防接種を受けていたし、今のところ何の症状も出ていない。仕事中はマスクをしていて、手洗いうがいもきちんとする真面目な人である。でも、中止である。 かく言うわたしも、長年接客
彼とわたしの今の関係は「ハグ友」であるし、実際わたしたちはそう呼んでいる。 ハグをすると幸福ホルモンが分泌され、ストレス解消やリラックスの効果があるらしい。 現在彼は複雑でもどかしい生活を送っており、わたしも昨年までは複雑でもどかしい生活を送っていた。 そんな互いの心を慰めるため、初回のデートから欠かさず、わたしたちは長い時間を使ってハグをしている。そのデートを「ハグ会」とも呼んでいる。「デート」と呼んでしまっていいのか分からないほど、ハグに特化したデート
わたしは今まで、朝から晩までとにかく仕事、退勤後でも平気で残業をし、休みの日すらも職場に顔を出す、というワーカホリック気味の生活をしていた。 転職をしつつも、長く接客販売業をしているから、暦通りでも時間通りでもない生活がごくごく当たり前になっていて、何の疑問も抱かなかった。 日々のメッセージのやり取りの時間もバラバラで、「今日は休み」と申告した日にも「昼間ちょっと職場に顔を出した」なんて言い、「今日は早番」と申告した日の夜中に「おうち着いた」なんて言っていたら、
彼と出会ったのは、八月のことだった。 それまで、朝から晩までとにかく仕事、退勤後でも平気で残業をし、休みの日すらも職場に顔を出す、というワーカホリック気味の生活をしていたわたしが、ある日突然、「男の人とデートがしたい!」と思い立ち、登録したまま長いこと放置していたマッチングアプリを開いた。 そのアプリの掲示板で、一件の書き込みに目が留まった。 わたしが一年前に趣味で書いた小説の男主人公と同じ名で、同じ悩みを持つ彼に、わたしは自分の小説の登場人物と現実を
「俺に深入りしないほうがいいよ」 薄暗い車内で、静かに、彼が言った。 「うん、分かってる。でも、あなたを愛しています」 助手席に座ったまま身体を捩り、彼を真っ直ぐに見つめながらそう返答すると、彼は困ったような、涙を堪えているような、でも喜んでいるような、なんとも形容し難い表情をして、わたしを見つめ返した。 とても複雑でもどかしい生活を送っている彼は、恐らくもう長い間、誰からも「愛している」なんて言われていないのだろう。 かく言うわたしも、つい去年まではとても複