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恋愛備忘録|ハグの効果

事実は小説よりも奇なり。
信じてもらえないようなことがいくつも重なり、
時間を共有するようになった彼とわたしの備忘録。
信じてもらえなくても、すべてノンフィクション。
ちなみに彼とわたしは付き合っていない。

 
 彼とわたしの今の関係は「ハグ友」であるし、実際わたしたちはそう呼んでいる。
 
 ハグをすると幸福ホルモンが分泌され、ストレス解消やリラックスの効果があるらしい。
 
 現在彼は複雑でもどかしい生活を送っており、わたしも昨年までは複雑でもどかしい生活を送っていた。
 そんな互いの心を慰めるため、初回のデートから欠かさず、わたしたちは長い時間を使ってハグをしている。そのデートを「ハグ会」とも呼んでいる。「デート」と呼んでしまっていいのか分からないほど、ハグに特化したデートなので、そのほうがしっくりくる。
 
 
 ハグの効果は絶大だ、と。いつも思う。
 
 お互い仕事が終わってへとへとになった深夜に会っているにも関わらず、それを忘れるくらい穏やかな気分になる。
 成人男女の平均身長であるわたしたちの身体は思った以上にフィットして、抱き合うことがごく自然の行為に思えた。
 
 そして何より、彼の香りが心地良いのだ。他人のはずなのに、長年使い込んで自分の香りや常用する洗剤の香りが染み込んだタオルケットにくるまっているかのような気分になって、とても落ち着くのだ。違和感がないことがおかしいくらい、安心感があるのだ。
 
 会ってまず最初に、立ったままで正面からハグをする。彼の腕は力強いから、わたしは仰け反って、呼吸のために顔を上げるので、いつも天井付近を見上げている。
 しばらくしたらベッドに移動して、彼の胸に顔を埋めながらハグをする。彼の体温と香りを感じるこの優しいハグは、とても落ち着く。
 
 と、わたしはいつも思っているが、彼がどう思っているかは分からない。
 もしかしたら、わたしほど心地良くはないかもしれない。わたしは彼の素の体臭を心地良いと感じるけれど、わたしからはシャンプーやヘアワックスや香水のほうが強く香っているだろう。
 
 それでも彼が進んでハグをしてくれるから、嫌ではないのだろうな、と勝手に判断している。
 まあ、本当に嫌ではないのだろう。
 
 数度目のハグ会でのこと。
 真面目で誠実で頑固な彼は、人目がある場所でハグするのを、良しとしない。公共の場でそういうことをするべきではない、と思っている人だ。
 それなのに。
 
 ホテルのエレベーターに乗り込み、ドアが閉まった瞬間。彼はわたしの身体を引き寄せ、肩を抱いた。
 わたしは当然驚いて「え、え、え?」と戸惑う。
 
「どうしたの、エレベーターの中、たぶん防犯カメラあるよ?」
 
「うん、でも、ハグ会だから」
 
 でもここはまだ公共の場で、防犯カメラもある。人目がある場所である。あと一分もすれば部屋に辿り着き、完全にふたりきりになるというのに。まさかあの真面目で誠実で頑固な彼が、「ハグ会だから」という曖昧な理由で、こんなことをするとは。
 
 戸惑いつつもわたしは、首から肩に回った彼の腕に触れ、「そうだね」と頷いた。
 
 こんな風に、自分の常識を曲げてまで進んでハグをしてくれるから、彼もわたしとのハグを、心地良いと思ってくれているのだろう。
 それによって彼のストレスが解消され、少しでもリラックスしてくれているのなら、そんなに誇らしいことはない。
 
 
 

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