まさき鉄考所

鉄道旅と鉄馬旅、バイクネタ(元外資系バイクメーカー、バイク関連企業で20年以上勤務。モ…

まさき鉄考所

鉄道旅と鉄馬旅、バイクネタ(元外資系バイクメーカー、バイク関連企業で20年以上勤務。モーターサイクルセラピーインストラクター)など書いています。

最近の記事

夜明駅 訪問

2024年4月訪問 仕事で行った先でたまたま通りがかりで、気になる駅名だったので訪問 和田アキ子さんの『あの鐘を鳴らすのはあなーたぁ』という歌声が脳内BGMで流れる。

    • 小樽駅に入る

      2023年9月訪問 函館から長万部、山線のルートに沿いながらバイクで走り夕方に小樽に到着。 列車には乗らなかったが、入場券を買って小樽駅のホームに入った。 尚、入場券はオレンジカードで購入しました。都心ではSUICAを使ってJREポイントを貯めるよりも、金券ショップでオレンジカードを買った方がまあまあ得です。 この日は雨が降っていた。 レトロな雰囲気が漂っていて、良い駅だった。何度も訪問しているけど、好きな駅のひとつです。

      • 然別駅 訪問

        2023年9月訪問 何も無いし、誰も来ない。 むかしむかし主要路線だったと思わせるのは、かつて線路があって現在は使われていない広い空き地が広がっていることくらい。 このままこの日は小樽まで行った。 つづく

        • 幌似鉄道記念公園 訪問

          2023年9月 正確には廃駅廃線跡では無く、廃駅を移設された記念公園。でも当時の雰囲気をしっかりと遺しており、前から行きたかったところだった。 かつて毛細血管のように伸びていた北海道の鉄道で廃線になったひとつ。昭和末期まで存在したということは、何とか生き永らえた路線だったのだろう。 令和の時代は青春18きっぷで楽しめるローカル線は激減したと思う。昭和の時代なら岩内線のような北海道の毛細血管的なローカル線が乗れただろうなと思った。でもこの駅の雰囲気を見ながら妄想の旅が楽し

          ニセコ駅 訪問

          2023年9月 2024年の冬はインバウンドのリゾートバブルがやってきたニセコ。 バイクで函館→長万部→ニセコと進んできた。確かに道路でも坂がきつく、函館本線のいわゆる山線をバイクで体感。蒸気機関車もきっと大変だっただろうと思う。 旅は続く

          ニセコ駅 訪問

          函館本線 中ノ沢駅 訪問

          2023年9月 2024年春に廃駅になるとの情報があったので、立ち寄ってみる。 絶滅危惧車両、いや絶滅危惧駅舎の車掌車改造の駅は、今すぐナウ的な感じで行くべき鉄道遺産だと思う。 旅の思い出はつづく

          函館本線 中ノ沢駅 訪問

          大間から函館へ

          2023年9月のツーリング記録 とにかくガソリン代が安く済むハンターカブ。ツーリングでリッター60キロ以上走る。のんびり旅するのに本当にちょうどよい。北海道の鉄道風景を少し見に行く。 つづく

          大間から函館へ

          381系 特急やくも 乗車

          2024年2月 国鉄時代からずっと頑張ってきたこちらの車両が引退が近いということで乗ってきた。 人生において乗ったのは、10回位。 出張や旅行で。 今となっては乗り心地は良くないし、妙なガタガタという上下震度もある。時代を造ってきた特急。 思い出記録。

          381系 特急やくも 乗車

          旧国鉄大間線の未成線跡

          2023年9月に訪問。 旧大畑駅からバイクで少し移動。 廃線跡とは違い実際に使われた事が無いためなのか、そこには鉄道に乗っていた人や生活していた人の魂みたいなものは何も感じないのですが。。。 建設中は線路が伸びる事により、豊かな生活を思い描いた方達がいたのだろう。戦前に建設中止になったため、当時の建設に従事した人はもういないのでは無かろうか。 建設当時は将来自動車がこれ程発達したりとか、戦争が激化するとかは予測できなかったのだろう。 温故知新では無いが、今思う事は近

          旧国鉄大間線の未成線跡

          下北交通大畑線 訪問

          2023年9月に北海道ツーリング途中に立ち寄り訪問 ここは廃線だけど、廃線では無い不思議な世界だった。

          下北交通大畑線 訪問

          上野発の夜行列車

          青森駅に行ってきた。 特に用事があったわけでは無い。 ぼんやりと鉄道に乗って、コーヒーまたはご当地の日本酒などを飲んで車窓を眺めるのが何よりの癒やしだからだ。 東北新幹線はやぶさ号に乗り青森駅へ。あっという間に着いてしまう。 あの歌の世界のように上野発の夜行列車だと何時間かかったのだろう。 青森駅から歩いて数分の『まちなか温泉』に入り、ゆっくりしてラーメンをすすってブラブラして、何と関東から日帰りができる。 宮脇俊三さんの鉄道紀行文の世界を想像しながら、昭和や国鉄時

          上野発の夜行列車

          仙台駅から上野駅へ

          仙台に行ってきた。 仙台駅の東北新幹線のホームを降りて、在来線乗換改札を抜け、エスカレータを降りる。 そこには東北新幹線開業前に東北本線などで活躍した特急や急行のヘッドマークが飾られている。 小さい頃の私を上野駅の地上ホームで出迎えてくれた列車達だ。 仙台から帰ってきて、上野駅に戻ってきた。 目を閉じると、あの頃の音や匂いがしてくるような気がした。でもこれらの列車達がやってくることはもう無い。 子供の頃、通り抜けるのが容易だった上野駅のこの通路が、今では顔をぶつけ

          仙台駅から上野駅へ

          幼少期の上野駅で見えた景色

          時は昭和50年代初頭、東北新幹線開業前の上野駅。 当時大阪に住んでいた私は、阪急や阪神電車の梅田駅の行き止まりになった櫛形のホームを見ることは時々あった。しかし上野駅の行き止まりとなった地上ホームは、佇まい、雰囲気、匂い、歩いている人種まで違うような気がすると子供ながらに感じたことをよく覚えている。 大人になって梅田駅と上野駅がどう雰囲気が違ったのか、整理してみた。 〇 阪急や阪神の梅田駅・・・近隣への通勤通学の足として利用され通勤電車だけが走っている。関西人が多い。賑や

          幼少期の上野駅で見えた景色

          南部縦貫鉄道を見に行く

          2023年の夏、楽しみにしていた東京から北海道までの下道ツーリングで立ち寄る。 初日は仙台まで行き宿泊、2日目は十和田で宿泊、南部縦貫鉄道七戸駅跡には3日目の朝に行ってきた。 現役時代の南部縦貫鉄道に見たことも乗ったことが無いが、このホームに立つと昭和40年代にタイムスリップしたような感覚になります。

          南部縦貫鉄道を見に行く

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          京都駅から何度も乗車した0系新幹線の思い出

          0系新幹線時代の動画は何も持って無いので、動画は近年撮影したものです。 京都駅の新幹線ホームに立つ度に、ここから0系新幹線に乗って福島県の母方の実家に帰省したことを思い出します。また幼稚園児の時に関西から関東へ引っ越しをする時に、近所や幼稚園の友達や従兄弟達と別れるのが辛く、とても悲しい思いで京都駅から0系新幹線に乗った事も思い出します。 幼少の頃は国鉄が色々あった時代だったので、列車に爆弾を仕掛けたとかの嫌がらせの電話が国鉄や駅などにあって、東海道新幹線が遅延したこともありました。凧が電線にひっかかっていて長時間浜松あたりで停止したこともあった。 祖父と乗った0系新幹線の食堂車でビーフシチューを食べたのが最初で最後の新幹線での食堂車体験でした。ちなみにビーフシチューを食べたのもその時が初めてで、祖父が間違えてカレーを注文したものと思いました。シチューは白いやつしかそれまで食べた事が無かったので。

          京都駅から何度も乗車した0系新幹線の思い出

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          幼少期の阪急電車の思い出

          幼少期(昭和50年代初頭)の阪急電車の写真は何も残っていないが、脳内に残っていることを書いておきたい。 父の実家は大阪の国鉄塚本駅(大阪駅のひとつ西側の駅)が最寄り駅だったので、国鉄の山崎駅(現在のJR京都線)を利用する機会が多かった。しかし家族でたまにデパートに出かけると言えば、梅田の阪急百貨店に行くことがあった。その際には、阪急京都線の大山崎駅を利用していた。 大山崎駅は真横に東海道新幹線が並走しており、新幹線が通過すると大山崎駅の壁や窓にも風圧と音が強く反響し、ガタ

          幼少期の阪急電車の思い出