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日記/百聞不如一見

夕方、微熱が出た娘と YouTube を鑑賞。わたしがヒカキン(正式にはHIKAKIN)の動画をはじめて観たのは、信じられるだろうか、去年の夏だ。頭が、フランキー堺あたり、つまり生まれる前でとまっているのだ。おととしなどは、非課金だろう、とすっかり独り合点していた。いったい何を合点していたのか、本人のことながら、理解に苦しむ。わたしが子どものころ、つまりフランキー堺の全盛期から二十年ほど後、メロンやたかちゃんと一緒に、やっすいおやつを、造船所前の駄菓子屋で買い食いしていた。いちばん世話になったのは、やおきんの駄菓子である。そして、会社はちがうが、ごえんがあるよ、というチョコレートも、よく食べた。その名のとおり、五円玉を模したものだ。自分で理解に苦しむほどのシュールな pre-ヒカキン像を描写するのは、これほどの筆力を以てしても、骨が折れる。「キン」の部分が、やおきん・・、ごえんがあるよ=金=キン・・、などを想起させた。さらに、あのカリカチュライズされた似顔絵の前歯、齧歯類げっしるいのような面持ちから、ファニーな顔でやたらに駄菓子ばかり貪り食う YouTuber だ、と確信していた。その後、娘の慫慂しょうようにより、ヘヴィ・ウォッチャーとなった現在、その妄想が必要条件として・・・・・・・正しかったことを知るにいたる。HIKAKINとは、やたらに駄菓子を食うし、やたらに駄菓子でないものを食う人だ。やたらに企画物のノヴェルティを買う人だ。やたらにいろいろ買う人だ。やたらにマイクラをプレイするし、やたらに他のゲームをプレイする人だ。これは、大事おおごとである。この人は、せっかちにはたらきすぎだ。身体によくない。いったん母心シフトがかかれば、企画の内容など、すこしも頭に入らない。気づけばわたしは、始終、彼の肌艶、眼のくま・・、声のはり、不調のささやかな手がかり、等々を、無意識に探っている。それらの非言語情報だけから、何年前の動画かさえ、言い当てられるようになってしまった。そこがみそ・・だ。彼は、別格である、人外である。もし、わが子が彼を見て、 YouTuber になりたがるならば、親は座敷牢に籠めてでも止めなければならない。もっとも分かりやすくこう。フランキー堺を見て、あれならば、と、二枚目半を志すようなものである。軽々こなしているから、いちばん危険だ。二枚目半とは、二枚目のなり損ないではない。三枚目の成れの果てでもない。話はまったくあべこべ・・・・なのである。芸能界とは、フランキー堺と、フランキー堺になれなかった者たちとから構成される業界だ。万が一、まだ『幕末太陽傅』を観ておられない方がいれば、それは不可いけない。チョコだのレートだのと、浮かれている場合ではないのだ。作りかけでかまわないから、とりあえず、ささっとわたしに郵送して、『幕末太陽傅』をご覧下されたい。


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