見出し画像

日記/日記を記す

日がな、頭痛が痛い。朝、昼とロキソを服薬しても、効果はたいして効かず、車に少し乗車するだけで、揺れる振動で頭痛がより痛む。低気圧の低さが顕著に著しいようだ。とりあえず、妻と娘が家に帰宅する前に、夕飯の食事を準備したい。少し小雨(雨!)が降っているが、気持ちの気晴らしも兼ねて、CO-OPまで徒歩で歩く。約5分、年に換算して、およそ0.0001年ほどかかる。週末の土日は、うんざりするほど人混みで混雑している。純粋に客が多いのではない、裃の裾のような夫連中が、通路という通路、隙間という隙間に、絶妙なブロックのポジショニングを稽古しにきている。うんざり。これも性差別なのだろうか。ことばを換言しよう。裃の裾のような、配偶者およびパートナー連中。わたしはすくなくとも、裃の裾はとうの早くに卒業をおえている。イヤミの靴下くらいの高みから、たまに、本当にたまに、極めて悪質なブロケードに対し、買い物かごの角を、裃の裾にぶつける。なんて性格がよいのだろう、自分でも我ながら、唖然としてことばも出ない。だが、本日は仕方ない。身体の倦怠感がだるく、頭痛も痛いのだ。頼むから、牛乳をそんなに長時間選ばないでくれ。玉子の前は空けてくれ。そして、ノースカラーズの芋けんぴの前。ここだけは、あなたの場所ではない。 CO-OP に来るのに、note もろくに読んでいないのか、と、わが声望の無さに落胆が落ち込む。体当たりしてすみません、という気持ちはなくもない。だが、フィジカル・コンタクトの克服は、わたしの長年の宿願でもある。すみません、というより、ありがとう。芋けんぴを買って、家に帰宅。牛乳とともに、貪り食べる。いまは、人として人徳ある牧師の前で、すべての悪意悪行を懺悔したような、清々しい気持ちをもっているわたしなのだ。やはり、ノースカラーズの芋けんぴだけは、決してストックを切らしてはならない。これはガラピコにおける水である。間に合ってよかった。これからハブ駅まで、妻と娘を迎えに行かねばならないのだ。悪いポジショニングに対して、いちいちバンパーをぶつけたり、いちいちボディを凹ませたりしていては、こちとら電気代もろくに払えやしない。気圧を上げる装置がほしいと、切に願うのであった。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?