見出し画像

Drive!! #39 ボート X 小説

ここからインカレまでは主力の3人以外の5人の伸びが鍵を握っている。
その中のひとりである井上は、先ほどからオールが少し潜りすぎている感じだった。オールをきちんと水に入れてから漕ぐ意識は大切だが、少しエントリーに力が入っているように見える。
「井上、ちょっといいか?」
井上は普段から無口で、艇の上でもあまり言葉を発しない男だった。今も大きな声で返事はせず、前髪が目にかかる頭を縦に振っている。

「エントリーの姿勢とってごらん。そうそう、一番前のポジション」
無愛想だが、感情表現が薄いだけで、素直な性格だった。言われた通りエントリーの姿勢を取っている。自分で考えてテクニックを身につけてきたタイプだが、迷っている時は助言してきた。
「そこから一回オールを抜いて、手を離してごらん」
井上は無言でうなずいたあと、言われた通りの動作をしている。
ボチャっと音がして、オールの先が水の中に入る。
最初はただ分からず動作を繰り返していただけだったが、何度か試しているうちに、コツを掴んでいるみたいだ。

「オールの重さで水に入っていくの分かるか?」
「はい、力抜くだけでほぼ1枚分水の中にブレードが入りますね。」
さすがに井上は飲み込みが早い。だんだんとオール1枚分の力加減を掴んでいるみたいだ。
もともとオールは先にブレードという重りがついているような形状だ。シャフトをリガーに固定すると、自分の手元と、ブレードの先でシーソーのような構造になる。
自分の手元の力を抜いて上げるとブレードが下がり水中を掴み、反対に自分の手元を下げるとブレードは水から上がる。
いわゆる支点になる部分がだいぶ自分の手元に近いため、てこの原理でブレード側の方が重たくなっている。わざわざブレードを水に入れようと手元のグリップを上げなくても、リラックスして力を抜けばブレードの先は勝手に水に入っていく。その感覚を井上は短い指導で掴んでくれたようだ。

その後ろで岡本は乱暴にボチャボチャとオールを上下させていた。岡本の動作は力が入りすぎだ。こいつは感性で漕ぐタイプで、こういった動作を取り出した練習は不器用だが、流れで漕ぐレースペースではスムーズに漕ぐ。不思議なやつだった。こいつはそのままで大丈夫だ。

「じゃあ、井上、次のレースペースではその感覚でエントリーしてみて」
「わかりました」井上は言葉短く返事を返してきた。彼なりに声に力があることを俺は感じ取っていた。

井上は今でも十分2回生としては、頼もしい漕ぎをしている。
だが俺の目に狂いがなければ、この井上はまだまだポテンシャルを秘めている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?