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Drive!! #8 ボート X 小説

先日のエルゴのタイムトライアルをした夜。
俺は弟である桂雄大をミーティングルームに呼び出した。
COXの川田と、副将の下屋には先に相談した。
次の六甲戦、雄大とペアで出たいと。
「俺らは賛成だが、後は雄大がなんと言うかだ」下屋がポツリと言った。「まあ、本人に聞いてみないとだねー。」川田もいつものように飄々としているように見えるが、その声はどこか自信なさげだ。
乱暴にドアを開いて、雄大が入ってきた。
「なんだよ兄貴。もう消灯近いぞ。」
「いいから座れ。話はすぐに済む。」
雄大は普段はコンタクトだが、今は黒縁のメガネをかけている。いつもはジェルでガチガチに固めている前髪も、今は額にかかっていた。
「単刀直入に言うぞ、雄大。次の六甲戦、俺とペアで出てほしいんだが・・・」
言っている途中から雄大は、目を剥いて俺を睨んでいだ。一体、いつからこうなった。それまではボートが、俺と雄大をつないでいたはずなのに、今はボートがふたりに溝を作っている。
「なんで、お前の勝手なこだわりに付き合わなきゃいけねえんだよ」雄大の声が響いた。川田も下屋も口を挟まず、成り行きを見守ってくれている。
「いまだにあの二人との勝負を引きずってんのは、兄貴だけだろ。とにかく、俺はエイトで出させてくれ。下屋さん、川田さんそれでいいよね。」
そう言って雄大は、部屋を出ようと踵を返した。予想していたことではあるが、やはり話し合いの余地はないようだ。
「怖いのか。またあの二人に負けるのが。」
遠く感じる弟の背中に問いかける。
「俺はまだ、相手が剛田と友永だとは言ってないぞ。六甲大と言っただけだ。」
雄大の露骨な舌打ちが響く。こちらを振り返らない。雄大と目を合わせて、ちゃんと話したのはいつだろうか。インカレの決勝でスタートを切るときは、拳を付き合わせて結束を確かめ合った。自他共に認める、仲の良い兄弟クルーだっただろう。
「剛田と友永との試合を避けたいのはわからんでもないが、次は絶対に勝てる。」
「そんなしょうもないことで断ってんじゃねえよ。俺はあんたみたいなヘタクソとふたりで漕ぐのが嫌なだけだ。それに、エイトではこないだの関選でも六甲大に勝ったんだ。もう俺らと、あの人たちの勝負はついてるだろ。俺らの勝ちだ。」
そう言って雄大は部屋を出ていった。

確かに関西選手権では、俺たち阪和大のエイトが勝った。しかし、六甲大のクルーは剛田と友永を除いて特筆すべき実力者はいない。そのクルーをあそこまでの艇速に引き上げているのは、間違いなく両サイドのエースである剛田と友永だ。その二人だけと並べれば、勝負はどうなるか分からないと俺は思っている。

そして”まだ、あの二人に負けたままなんじゃないか”
その思いを拭えず、気持ちが前を向かない自分が居た。

勝敗を曖昧なまま引退したくなかった。あの二人との決着だけは、着けないと後悔すると思う。それに、雄大の漕ぎがどこか小さくなった原因は、あの二人の影に怯えているからではないか。明らかにあのインカレでの敗戦の後で、負けを知った雄大の漕ぎは変わってしまった。あいつのこれからのためにも、そしてチームのためにも、剛田と友永に勝つイメージを見せてやりたかった。それはチームのためにも必須であると、川田と下屋も合意してくれていた。

俺自身は、NYT東日本に就職し社会人でもボートを続けるが、剛田は総合商社へ、友永は銀行への就職を決めていた。彼らの就職先に実業団のチームはない。言うまでもなく大学でボート競技の一線からは引退だ。

両校ともに、インカレでの対校はエイトだ。最後の試合まで私心を挟むわけにはいかない。剛田・友永のペアと勝負するなら、次の六甲戦が最後のチャンスだった。

「やれやれって感じだねー。予想していたことではあるんだけど。」
「雄大のやつ、取りつく島もないな。翔太、残念だが、雄大とのペアは諦めろ。お前も最後の六甲戦はエイトで・・・」
「いや、下屋。ちょっと待ってくれ。俺には、もう一人当てがある。」
俺の提案に、下屋も川田も最初は疑問を示したが、最終的には同意してくれた。

「おい、杉本、ちょっとミーティングルームきてくれ」
杉本は呑気な顔で、口いっぱいに放り込んだ米を噛みながら、部屋に入ってきた。

思えばあそこが分岐点だよな。杉本にとっても、俺にとっても。これまでの成り行きを、俺は心の中で思い出していた。
浜寺漕艇場。水上。900mを通過した。剛田・友永との差は広がっていた。

杉本、今回のレースは成り行きでこうなったように言ったが、完全に俺のワガママなんだ。この二人に勝たないと俺は先に進めない。そして、この先絶対に後悔する。
悪い、杉本。許してくれ、そして力を貸してくれ。

両艇は中間地点の1000mに近づいていた。スタート以降、六甲大がジワジワと阪和大との差を広げていた。ゴール付近にもアナウンスが流れる。
「1000m地点。六甲大学、3分27秒。阪和大学、3分38秒。」
その差、11秒。
杉本と翔太のペアにとっては、川田が言うところの致命傷の差だった。

「杉本、1000m通過した。作戦通り頼んだぞ。」
「はい、わかりました。」
桂翔太の合図に呼応して、杉本はペースを一気に変えた。

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