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Drive!! #36 ボート X 小説

「下屋、来月の試合、俺とダブルだ」
「どういうことだ?俺は聞いてないぞ」
「すまんが、お前に黙ってもうエントリーしてある。今朝牧さんに言って、大会本部にメールもしてある。」

めちゃくちゃだ。よく牧さんもそれを許可した。
「お前が出てくれなきゃ、俺は今年の大事な最終戦に出られない」
どうやら本当のようだ。桂と俺は、こんな手の込んだ芝居をわざわざやって、ふざけあう間柄でもない。

「お前、今朝の牧さんへのセリフ忘れたか?」
「なんのことだ?」
聞き返す俺を、桂はニヤニヤと見つめている。
「漕手の試合、ぶち壊すつもりじゃないだうな。」
いや、それはお前が勝手に、と言いかけたが、その言葉は出てこなかった。どこかで成り行きに任せてしまいたいと思っている。理解は追いついていないが、そのままでいいと自分で直感している。

桂は黙っている俺に話しかける。
「お前の過去に何があったかは知らん。漕ぎたいなら漕げ。嫌ならやめればいい」

「おーい、もう暗いし、ビデオ取れねえし、上がってこーい」
いつも間にかビデオ撮影を始めていた牧さんが、陸から声を上げている。
「ああ、それとな下屋。牧さんがエントリー遅かったのは俺のせいだ。あの人はとっくにエントリー作り終えてたんだけど、俺がお前に声かけるために待ってもたってたんだ。」
「でも結局、俺の了解を得る前に」
「ああ、もう俺の中で勝手に結論出しちまってた。悪いな」
「俺が嫌だと言ったら。」
「言わないさ。なんか、わかったんだ。」

陸に上がると、牧さんが桟橋でオールを取ってくてた。
「おい翔太、お前のせいで、俺が悪者じゃねえか。」
「すいません、牧さん。本当は下屋が了解してからにしたかったんですけど、なかなか話す機会がなくて。何回も急かしてもらってたのに、ごめんなさい。でも、もう了解はもらいました」

「おい桂、俺はまだ出るとは言ってないぞ」
「出ねえとも言ってないぞ」
やめろ。そのにやけ顔は。
「それと、”まだ”ってなんだよ」
ねー牧さん。と桂は言って、ふたりは笑い合っている。
俺はあきれた顔をしてため息をついた。でも体には心地いい疲労感が残っていた。
「まあ、1回くらいは。漕手の気持ちを理解するためだ。」
とか、言い訳がましく言ったと思う。

それから1ヶ月後、俺はレースに出た。
そしてそこからは、ボートという競技の虜になった。

俺が桂に引き摺り込まれたボートという競技は最高だった。
陸の上から見るよりもずっと。

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