Drive!! #54 ボート X 小説
銭湯の受付の前にはソファが置いてあり、天井の隅に木の枠で支えられた古いブラウン管のテレビがあった。野球中継が音を消されて流れている。
座りながらしばらくぼーっとしていると、番台に座るおばあさんが声をかけてくれた。
***
「あなたキャプテンでしょ?」
やけに自信ありげに言い当てたおばあさんを驚いた顔で見返した。得意げな笑みが浮かんでいる。
ここの銭湯には1回生の頃からお世話になっているけど、決して顔見知りってわけじゃない。
「なーんか、このインカレの時期になるとね、お客さんの中に暗い顔してる子がいて、ここでぼんやりするのよ。そういう子はね、決まってキャプテンなの。私に言わせてもらうと、あなた”典型的なその顔” って感じだったわよ。」
そう言って、おほほほと上品に笑っている。
「どちらの大学なの?」
「阪和大ってとこです。」
「あー、そうなのね。知ってるわよ。あなたじゃあ桂翔太くんね。関西選手権、優勝おめでとう」
そう言いながら拍手してくれた。なんだか照れくさいのと、なんで知ってくれているんだろうという疑問を感じる。それを察したのか、それとも慣れているのか、おばあさんが続ける。
「これだけお客さんの中にボート部の学生さんが多いと気になってきてね。自然と知りたくなるものなのよ。でもボートってほら、あまり有名なスポーツじゃないでしょ。だからなかなかネットにも情報がなくてね。それでも名前と結果だけでもと思って、いろいろ調べるようになったのよ。もう10年以上そうやってるから、わたしボートのことけっこう詳しいのよ」
「結果とか調べながら、どんな子だろうって想像して、実際に今日みたいに会えた時には、なんかパソコンの画面の中の人が外に出てきたみたいで、すっごく不思議な気分になるのよ。」
そういうと席をはなれて、縦長の冷蔵庫からひとつ瓶を取り出して、差し出してくれる。
「これ、あまりお好きじゃないかもしれないけどよかったら。優勝のお祝い。」
そう言いながら、いちご牛乳を持ってきてくれた。
心遣いに嬉しく思いながら、一方でなんだか申し訳ない気持ちもあって、断ろうとしたが、「ぜんぜん遠慮しないで、どうせ今日お店閉めたら、捨てちゃうやつなの」と言ってくれた。
それならと受け取った牛乳瓶には、来月の日付が記載されている。捨てちゃうというのが、気遣いからの嘘だとそれで分かった。
「あなたにね、いいこと教えてあげるわ。そうやって暗い顔してる子に限ってね、"いい結果でしたよ"って後から報告してくれるのよ」
おばあさんは、小さくガッツポーズしながら「頑張って」と言ってくれた。
そうこうしていると、「そろそろ片付けようか」とおじいさんが入ってきた。おばあさんの旦那さんだろう。
「すいません、長居しちゃって。そろそろ失礼します」
俺はふたりに頭を下げた。
「ぜんぜんいいのよ。こちらこそ引き止めちゃってごめんなさいね。和成さん、こちら阪和大の今年のキャプテンの方よ」
「おおー、そうか、そうか。頑張ってね」
おじいさんのTシャツから覗く二の腕はよく焼けて、隆起があり力強く見えた。
「この人もね、昔は結構ボート強かったのよ。ねえ、和成さん。」
そうやって、話題を振られたおじいさんだが、ただ照れくさそうに笑っているだけだった。
俺はペコペコ会釈をしながら、サンダルを履いて外に出た。
ふたりは手を振りながら笑ってくれている。
「それじゃあ、朗報待ってるわ」
玄関まできて暖簾を片付けながら、声をかけてくれたあばあさんに、もう一度お礼を言ってその場を後にした。
もうすっかり日が暮れている。そういえばお腹が空いている。今日の晩ご飯はなんだろう。遠征だとマネージャーがいつもより更に腕によりをかけて、食事を作ってくれるので、毎回楽しみだ。
俺は頂いたイチゴ牛乳の瓶を片手に、比較的軽い足取りで宿舎への道を歩いた。
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