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Drive!! #69 ボート X 小説

練習が終わり、艇やオールの片付けも終了した。円陣を組むと主将の翔太が話を始め、メンバーはその声に耳を傾けていた。
セミも少しだけ鳴き声を控え目にしたような気もする。
杉本はすべての動作に"最後の"と付けたくなる気持ちだった。
これが最後の練習後のミーティングかもしれない。
***
「みんな、お疲れ様。今日の漕ぎはすごく良かったと思う。フォーカスしていたフィニッシュ押してから、次の一本っていう意識も出来てたと思う。レートが上がっても、動きが忙しくなくて、ちゃんとスムーズって感じだった。微妙な違いだけど、最後の最後まで大きく進歩したと思う。明日も今日のイメージで漕いでいこう」
うっす、とか声をあげるもの。うなずいているもの。聞いてるのかどうか怪しい井上みたいなやつもいるけど。でもそういう風に見えて、井上がきちんと話を聞いているってのも、みんなの中ではもう周知の事実で、そのぼんやりした態度も受け入れられている。

こういうのが、信頼感というか、安心感っていうんだなと俺は思った。
高校の陸上の時は、上手くこういう風には部員とは接することができなかった。それを自分のせいだと責めていたけど、案外たまたまな気がした。

自分が今になってそこまで大きく成長したわけでも、逆に高校の時に特別悪いことをした訳でもない。たまたま気の合う人たちに巡り合うことができたんだと思う。それだけに本当にありがたいことだ。

今までは自分の実力や行動が大きく人生を左右するんだと肩に力が入っていた。自分の行いを他人が評価して、受け入れてもらえるかどうかが決まる。毎日が試験のように感じていた。

でも縁とかってそういう自力でなんとかするものじゃなくて、ほっといても自然と向こうから来てくれるものなんじゃないかって、今は思っている。すごく楽だ。多少、自分の至らないことがあっても、人間関係が壊れたりはしないし、また一緒に同じ方向を向いていける。

「主将として活動してきて、本当にメンバーのみんなに助けてもらうことばかりだった。明日からは日本一に向けて、どれも負けられないレースになるけど、楽しんで漕いでいこう。いろんな事情や考えがある中、こうやって9人で試合を迎えられることに感謝して、楽しもう」
みんな充実した表情をしている。円陣に沿ってエイトのクルーを見渡していくと、その視線は自分にも続いている。俺もこのメンバーの一員なんだと思うと、何度でも誇らしくなる。

"楽しんで"と翔太さんは言った。明日の予選の相手は現在インカレ9連覇中で、昨年の優勝クルーの帝東大学がいる。

心を折られたりしないだろうか。でも俺が勝手にそんな想像をすることは、チームを裏切ることのように思えた。

決めた。楽しもう。色々あったけど、今日まで頑張ってきた。
俺にだってそうする権利があるはずだ。

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