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Drive!! #115 ボート X 小説

ここからは、純度が高い。

みんなが円状に集まる数秒の間に頭の中で次々と言葉が映写され、俺はその意味を自分自身で理解した。

純度というのは、つまりこういうことだと思う。
ボート競技というものは、たまに訪れる個人的な発見はあるものの、基本的にはもともと存在する(というか知っている)動きを繰り返す極めて地味な時間の塗り重ねである。

そしてその動き自体は特に難しいものではない。体操のバク転や、水泳でのターンなどとは違い、特に訓練は要しない。数分のレクチャーで習得できる。それが「ボートを漕ぐ」という動作だ。

でもその動きに留まってみようと考えるか否かが、「ボートを漕いだことのある人」と「オアズパーソン」の分かれ目になる。

その単調な動きに留まることはつまり日々裏切られることの連続を意味する。
そして裏切られまいと自分自身を越えるたびに、皮肉にもその濃度は高まっていく。坂道の勾配が緩やかになるということは、上を目指す限り一生涯訪れない。ボートに染まるということは、同じくそういう日々を受容していくことを決心することでもある。

今自分の目の前に集まったみんなは間違いなくそういった試練を潜り抜けてきた人間だ。そしてこれから闘う相手もそうだ。

いわば生き残りたち。そして極めて偏屈なもの同士の戦いである。

ただ好きだとか、気に入ったとか、そういうところの一歩外にある領域でボートを捉えている人同士の戦いだ。

偏屈な趣味を持つもの同士。純度の高い戦い。それが嬉しい。
これから並べる相手は敵であり、それ以上に俺たちの同志だ。

「いつも通り行こうな」
自然と口からでた月並みな言葉。

でもこの言葉にはそれなりの重みがあると信じている。

偏屈な日々に執着した男たちの"いつも通り"
その強さを知っているから、みんなにかけられた言葉だ。

COXの川田のいつもの掛け声に合わせて、偏屈な俺たちは約17mのエイトを担いだ。

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