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Drive!! #35 ボート X 小説
久しぶりの運動着は肌にすんなりと馴染んだ。
そして今、桂とふたりでダブルを船台まで運んでいる。
秋の夕方。今日はよく晴れて、風もない日だった。水面は穏やかに波打っているだけ。全体練習がオフなのがもったいないくらいだ。
先ほどからずっと無言。桂と二人でオールを黙々と取り付ける。
ほとんど毎朝眺めている光景だ。手順は熟知している。
心の中では、”これも漕手の気持ちを知って、より良いサポートをするため”と自分に言い聞かせていた。別に乗りたいなら乗ればいい。言い訳なんかする必要はない。俺だってボート部だ。マネージャーだけど。
桂がバウに乗り、俺がストロークのシート。
後方確認など、安全面を考慮して桂がバウに乗ると申し出た。
別にどちらでもいい。俺が艇に乗るのなんて、今日限りだ。
蹴り出して、水に浮かべた。いつ以来だろう。新人勧誘のイベントの際に、ほぼ強制的に乗せられた。それからは乗っていないから、2回目の乗艇だ。
「好きに漕いでみろ」
後ろから桂に声をかけられる。言われるがまま、恐る恐る漕ぎ始める。
ナックルと比べて、驚くほど軽かった。押しただけ進んでいく、そんな感じだ。水を滑る感覚。まだ桂は漕がずに水面を支えている。
ふたりとも漕いだら、どんなスピードになるのだろう。
自然とそんな想像が頭に浮かんだ。
それを察したように、桂も俺に合わせて漕ぎ始めた。
最初の数本こそバランスを少しだけ崩したが、すぐにスピードに乗った艇は、何かに支えられているかのように安定し、水面を移動した。
結局そのまま1時間、黙々と二人で漕ぎ続けた。
「どうだ、ボートは楽しいだろ?」
振り向かなくても、笑えっている桂の顔が声から想像できた。
楽しい。確かに楽しい。
そして、理由は分からないが、桂が俺を漕手としてボートの世界に招こうとしているのは分かる。俺は突き放すように言った。
「加古川まで1ヶ月しかないのに、こんなことしてる時間なんかないだろう」
「ああ、そうだな」
無駄なことはよしてくれ。俺はもう、あんな思いはしたくない。
自分のせいで試合をつぶすくらいなら、陸から人のことを応援していたい。
「こんなに、ゆっくり練習してる暇はない。早く試合のレートで漕げるようにならないとな、下屋」
一体、なんの話だ。
「下屋、来月の試合、俺とダブルだ」
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