見出し画像

Drive!! #10 ボート X 小説

桂翔太の背中を見ながら漕ぐのは久しぶりだな。
剛田は素朴な感慨に端を発して、記憶の蓋を開けていた。

俺が六甲大の主将として臨んだ今年の試合、ことごとくお前たち阪和大学には敗れてきた。朝日レガッタでも、関西選手権でも、俺たちのすぐ先に阪和大がいた。だが阪和大学にチームとして勝てなくても、俺は桂翔太という男に対して劣等感は感じなかった。

桂兄弟には、2回生の時のインカレで勝利した。その記憶はあまりにも強烈だ。自信のない自分に戻りそうになる時、いつもその勝利の記憶が俺を鼓舞してくれた。もし今日、桂翔太との直接対決でその記憶が塗り替えられれば、俺はまた元の自分に戻ってしまう気がした。そんな自分が情けない。
「剛田、気にするな。ただのミドルスパートだろう。」
後ろから友永の冷静な声がした。そうだ、大丈夫だ。俺には友永がいる。

「もう一度、桂に勝つんだ。そうすれば、俺たちは壁を破ってもう一段強くなれる。インカレ で上に行くためにも、桂との直接対決で力を示そう」
友永が力強く語ってくれたから、試合を受けることにした。そして、その選択は間違っていなかった。いつも友永は正しい方向へ導いてくれる。
そういえば、友永がいなかったら、俺はボートをやめていたかもな。
すべての意識をレースに捧げてようとしているのに、集中を高めて自分に深く潜れば潜るほど、いろんな記憶が溢れてくる。

2011年の冬。当時1回生だった俺は、パワーだけが取り柄だった。エルゴの数値ではほとんどの対校エイトの先輩よりも上だ。力強さを評価され、1年ながら来年の対校候補として冬場からエイトに乗っていた。
艇を押す力では誰にも負けはしない。俺はそれに磨きをかければ良い。決してエルゴ値が高いとはいえない上回生たち。自分のような選手がエイトの真ん中にどしっと腰を据えて漕げば、先輩たちにも貢献できると思っていた。

春が近づいたある日。当時の主将に呼び出された
「剛田、お前、シングルに乗ってくれ」
それは突然の通達だった。そう言われて、頭が真っ白になった。
パワーに磨きをかけていた俺は2000mTTでも6分30秒を切り、エルゴ値では部員の誰にも負けなかった。体重も3kg増やした。
「いや、ちょっと待ってください。俺はこないだだって、ベスト更新して・・」覆そうと抗議する俺を遮って、
「邪魔なんだよ。」
と主将が言い放った。温厚な主将が感情をあらわにするのを初めて見た。
「剛田、俺だけじゃないんだ。エイトのみんなが言ってるよ。お前のせいで体が止まったり、バランスが崩れたりしてるってな。エイトはチームスポーツだ。周りから浮くほどの力は逆に邪魔になるんだよ。悪いが今年のエイトは別の4回生メンバーでいく。お前はシングルだ。」
そう言って主将は、感情のこもらない「悪いな」という一言を残した。
議論の余地はなかった。

プライドの高くワンマンな主将だ。きっと自分よりエルゴ値の高い自分がクルーにいると邪魔なのだろう。主将の記録を抜いてから、風当たりが強くなっていることはなんとなく気がついていた。自分の世界を崩されることを好まない。主将は、自分で築いてきた王国の壁の向こう側に入っていった。

それから、俺にはずいぶんと年季の入ったシングルが与えられた。当然、記録も出るはずがない。主将は俺の練習での記録の悪さを吹聴した。
「ほらな、剛田はエルゴは良いけど、水上では艇を動かしてないんだよ」
エルゴで高いスコアを持つ後輩を、対校から外した。その自分の判断が正しいということを証明するためだった。そして俺は、”力はあるがボートは下手くそ”というレッテルを貼られた。

突出した力があると認められているのに、なぜ俺がエイトを降りなければいけないんだ。それについて来れない奴が悪いんじゃないのか。お前たちが、俺のパワーについてくるようにすれば良いじゃないか。

俺は自分の力が認められないことに対する不満を増幅させていた。そしてその不満を材料にして、周りに対して壁を作った。
あの主将の壁は、自分の仲間を外に出さないためのもの。
俺の壁は、誰一人として自分の領域に踏み込ませないための壁になった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?