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Drive!! #34 ボート X 小説

桂翔太との約束の時間。俺は艇庫に着いた。

桂は先についていたようで、モニターで今朝のビデオを見返している。
軽く挨拶のようなものを交わす。
映像の中の桂が乗っているのはシングルだ。滑らかに進んでいるように見えるが、フィニッシュの位置を長く取ろうとしすぎて、ブレードに水が絡むようにして、浮いてくる。

映像を見ながら、桂がポツリと言った。
「下屋、お前さあ。なんで撮るべき位置が分かるんだ?」
こいつはなんのことを言っているんだろう。
「そりゃ、漕手が来たら自分の立ってる場所から撮る。位置も何も簡単な仕事だろう。どのマネージャーでもやってることだ」
「違うよ。俺が言ってるのはアップにする場所とかだよ。お前の撮ったビデオだけ、いつも漕手のポイントを抑えてる。普通のマネージャーは、上回生でも、ぼんやり全体を撮ってくれるだけだ。でも、お前のは違う」
桂は画面を指差しながら続ける。
「今日だって、俺が最近フィニッシュの位置変えたからだろ。ほら、ずっとオールが抜けるとこアップにしてるだろ?」
桂が言うことは当たっていた。俺は確かに漕手が今課題にしているところを重点的にビデオで捉えるようにしている。当然だ。そのために撮っているんじゃないのか?
「漕手が課題解決のために見るビデオなんだから、当然だ」
「ふーん、そんなもんかね。」
桂の柔らかい雰囲気が一変し、抑えた声で聞かれた。
「お前、なんか運動してた?」
一瞬胸がざわついた。
いや。とだけ小さく答えた。
「ふーん、まあいいや。練習しようか。ダブルに乗るぞ」


桂の他にも誰か艇庫にいるのだろうか。桂はこのところずっとシングルに乗っていて、次の加古川もシングルのはずだが。
まあ誰でもいい。俺は俺の仕事をするだけだ。陸の上から。
「わかった。じゃあ、いつもの定点から撮っておくから」
そう言って準備しようと歩き出して、後ろから声をかけられる。
「おいおい、何言ってんだ。俺と下屋で乗るんだよ。ダブル」
え、と声をあげ振り返る。俺のよく知らない男は、不適に笑っていた。

「楽しいぞ、ボートは。お前、完全にこっち側の人間だ。俺には分かる」
こいつは急に何を言い出すのか。
なんでそんなニヤついた表情で俺を見ている。何がそんなに楽しいのだ。
真剣になったり、ふざけたり、よくわからないやつだ。
笑いながら、運動着を放り投げてきた。そして「着ろ」とだけ言う。

悪いが桂、たぶん俺はボートをやるべきじゃない。
マネージャーをしていてわかっている。ボートは究極のチームスポーツだと。エゴイストの俺が、やるべきスポーツではない。

頭ではそう考えて、拒絶していた。
しかし渡された運動着を突き返すことはできなかった。

袖を通したいという衝動が走っていた。

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