Drive!! #74 ボート X 小説
バウサイドが大きく負けている。不必要に水しぶきを上げ、水を捉えていなくて、ほとんど空振りと言ってもいい。逆にストサイはストロークの清崎を始め、不必要に力みまくっていて、さらに艇は傾いている。
帝東のCOXの山岸は、艇速を著しく下げるので、なるべくラダーはきりたくなかったが、いよいよレーン侵害の可能性も出てきて、やむなく思い切り抵抗を与え、なんとか艇を真っ直ぐに戻した。
スタートで出られると思っていた阪和大学がすぐ隣にいた。
"もしかしたら負けるかもしれない"と山岸は思った。
***
「大丈夫、ここからいつも通りいこう」
漕手を安心させるのが、俺の仕事だ。500m過ぎて、わずかに先行されている。でもまだ500mだ。まだまだ序盤だ。
いや、あー、そうは言っても、実際、ぜんぜん大丈夫ではないかもしれないな。
清崎の漕ぎはいつも通りではあるが、今日のレースだと2枚くらいレートを落として、落ち着いてから立て直すことも策のひとつだろう。後ろの漕手がバタついているのが、察知できていないのだろうか。それとも気がついていて無視しているのだろうか。"頑な"という感じもする。"後ろが合わせろ"って感じなのかもしれない。でも何を考えているかは、分からない。レース中でも向かい合っているんだから、聞けばいいのだろうが、俺の声は出ない。
そして、その後ろ。7番の谷澤も全く清崎と動きがあっていない。そのせいで完全にストサイとバウサイの動きが分離している。
6番以降の漕手も、阪和大学のクルーを威嚇するように声を出しているが、それが余計に焦りにつながっていて、勝手に動いている感じだ。誰も噛み合っていない。
漕手の気持ちも俺には痛いほど分かった。最近の練習ではいいものが出ていない。本気を出していい漕ぎが出なかったら、いよいよ自分たちの実力不足を認めることになる。それが分かっているから、本気を出すことをどこかで避けていた。"ムードが悪い" "今はそういう時期だ" ということにして、目をそらし続けてきた。そうやって本気を出さないうちに、いざ今日本気を出そうとしても、出なくなったのだ。
バタついている俺たちを横目に、阪和大は静かに淡々と速かった。
どうしよう。指摘したほうがいいのだろうか。今ならいくらでも改善点が見つかっている。まずは意図的にレートを下げる。それだけでリズムはあってくるだろう。そうやって一旦束になって漕ぐこと、合わせて漕ぐことを取り戻したら、そのリズムのままミドルフォアのアタックを入れてもいい。その上がった艇速を察知して、清崎がいつものレートに戻すだろう。そしたらオールメンで、アタックだ。ここまでやれば、1000mで阪和大に並ぶことだってできるはずだ。後は個人の細かい動きの指摘だ。3番の駒込はフィニッシュ押し切る前に、ブレードが浮いている。フィニッシュ位置が下がっているのだろう。いつもの癖だ。6番の花形はエントリーの時、蹴り戻りが激しくてレンジが極端に短くなっている。"駒込、押してから" "花形、遠くの水掴もう"と短く告げれば、それだけでそれぞれ察するだろう。
しかし言えない。なぜ言えないのだ。勝つためだろう。何を戸惑ってる、俺は。
みんな苦しい中漕いでいて、その上、自分の動きを指摘されたりなんかしたらどう思うだろう。俺のことを鬱陶しいと嫌いになるかもしれない。
これまでの普段の練習から、あまり正直に指摘することをしてこなかった。陸の上で、褒めた後、"強いていうなら"と前置きして指摘した。後は他の選手やコーチが俺の思っていることを指摘するのを待っていた。
「これは保身ではない。漕手への気遣いだ。」と俺は自分に言い聞かせているが、心の底には泥のように気持ち悪さが蔓延っているのもはっきり意識していた。
結局、何も言えないまま。1000mにさしかかった。
「いいよ。大丈夫」と心にもないことを叫んでいる。俺はなんだ。なんのためにCOXとしてここに座っている。
阪和大学との距離はさらに開いている。でもまだ中盤だ。まだ、大丈夫だ。まだ、この先でなんとかできる。
1250mを通過する。
陸には観戦している人が増えてきて、その中に見覚えのあるジャージを着た一団がいる。
その高校生たちは俺の母校の後輩だった。
黒いブレードのクルーを、失望の目で見ている。必死で「帝東ー!」と叫んでいるものもいた。
その姿が、4年前の自分と重なった。
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