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Drive!! #18 ボート X 小説

どっちだ。僕は勝敗が分からず、尋ねるように翔太さんの顔を見た。
翔太さんは首を振り、苦笑いしている。
首を振っているのは、負けたという意味ではなく、自分にも勝敗は分からないという意味だろう。

艇上で翔太さんは声を発さずに、手を差し出してきた。
僕も手を差し出すと、その手をがっしりと握り返してくる。
少し泣いているようにも見えた。

アナウンスの声は一向に聞こえてきそうにない。
どうしようと迷っていると、陸から、川田さんが
「二人ともお疲れさまーー!ほぼ同時にゴールだったみたいで、今動画判定しているって。とにかくダウンして陸あがってきなよ」
と声をかけてくれた。
翔太さんは手を挙げて、川田さんの声に応えた。

「杉本、1000地点まで流して戻ってこよう。」
レース直後で当たり前だけど、翔太さんの声は憔悴して小さかった。
それが勝敗の答えという訳ではないけれど不安になる。
「はい」とだけ答えた。

軽い力で漕ぎながら、体をクールダウンさせていく。
さっきまでのレースのことが浮かんでくる。

今日のレース思い出せるところとそうじゃないところがある。
開始直後と最後。特に記憶が曖昧だ。
最後の瞬間なんかは、いつゴールしたのかも分からない。

ゴール付近で、体が急に重たくなってからは、横の相手の位置を気にする余裕もなかった。
たぶん勝ちを意識して、無駄な力が入ってしまったのだろう。
呼吸も急に苦しくなって全身の筋肉が硬くなったのが感じられた。

艇をターンさせる時、剛田さんと友永さんの姿も見えたけど、喜んでもないし、悔しがってもなかった。
ふたりもどちらが勝ったか分かっていないのだろう。

いつもはさっさと陸に上がって、休みたいとしか思わない。
でも今は少しでも長く水上にいたい。翔太さんと漕いでいたいと思った。

あの後半の漕ぎ、艇との一体感。
今までにない感覚を掴むことができた。
結果がどうあれ、この試合はいい試合だったと言える。

でもそれは、”僕個人として”の場合だけだ。

今日は翔太さんと一緒に出た。
”勝敗は置いといて” という訳にはいかない。
翔太さんの最後の六甲戦だ。

お隣の大学との一騎打ち。
”全日本なんとか” みたいな大仰な名前がついているわけでも、勝てば次のステージに進めるというものでもない。

でもなぜだろう。この試合には、独特の緊張感がある。
六甲戦には初めて出たけど、声援が他の大会とは明らかに違う。
伝統の一戦。少し大袈裟かもしれないが、そんな言葉を思い浮かべた。

外から見れば日本の片隅で行われた、マイナースポーツだ。
でも誰がなんと言おうと、この試合は一生忘れないような気がした。

艇を陸につけると、川田さんや辰巳さんが迎えてくれた。
「翔太も、杉本も本当お疲れ様」
「次はお前らだ。エイトは任せたぞ、川田。」
4回生がそんな声を掛け合うと、周りの下級生は何も言えず圧倒されてしまう雰囲気がある。

ペアを翔太さんと二人で担いで運んでいく。
浜寺は海水のコースなので、特に丁寧に艇を洗い流す必要がある。

艇置き場へのその短い道中でも、いろんなOBさんが、桂ー!!と声援を送っている。
翔太さんはものすごい有名人だ。自分までなんだか誇らしい気持ちになる。
杉本ー!の声がないのは残念だけど。これからだ。
あれ、”これから”って、俺ボート続けるんだっけ。

いや、続ける。続けたい。迷っていたレース前が嘘のように、今はそう思える。まだまだ自分は上達できる。それにボートを通じて、自分の知らない世界が広がっている予感がある。決めた。ボートはまだやめない。

ひとり心の中で決意を固めていると、レース結果が張り出されるボートの前から、大きな歓声が上がった。
たくさんの人が、腰をかがめて小さなA4の紙に視線を寄せている。
ここからでは少し離れていて、どちらの大学のメンバーが喜んでいるのか、判別がつかない。

そう思っていると、人だかりの中から、一際大きな体の剛田さんが出てきた。そしてそのまま歩いて僕たちの方へ歩いてきた。
ゆっくりとした歩みだった。

陸の上で見る剛田さんは、艇上で見るより穏やかな雰囲気だった。
翔太さんにしてもそうだが、ボートで強い人はなんとなくそんな感じがする。艇上での殺気というか覇気は陸に上がるとなくなり、柔らかい空気を纏っている。
雄大さんは陸でもピリピリだ。あの人は例外だ。

目の前まで、剛田さんは近づいてきている。
「俺たちは最高のレースをしたと思う。」
堂々と声を発している剛田さん。すでに結果を知っているのだろう。
「杉本くん、見事だ。本当に、よくここまで。」
差し出された剛田さんの手は豆だらけだった。
僕には何か神々しく感じられた。
体中が汗だらけであまり意味はないのだが、失礼にならないように太ももで拭ってから、剛田さんの手を握った。

穏やかな風が吹いた。コースから潮の香りがする。
握手をしながらほっと息をつく。体から力が抜けていく。
結果を聞く前ではあるが、闘いは終わったんだなと思った。

剛田さんも大きく息をはきだした。
一度俯いて、それから遠く空に視線を向ける。
「両校の差は0.15秒だった。君たち阪和大の勝ちだ」
空を見る剛田さんは、晴れやかに泣いていた。

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