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Drive!! #17 ボート X 小説

その感覚がきたのは、1300m地点だった。
杉本は自分の身に起きていることを、半分も理解していなかった。
でもそれは心地いい感覚だった。

最初は1000m地点で、僕は翔太さんの作戦通りミドルスパートに入って、無理やりレートをあげた。
それを継続するうちに、そのリズムから離れられなくなる。
ペースを落とす箇所に差し掛かっても、そうしたいと思わなかった。

" 艇が進みたいと言っている" そういう感覚だった。
なんだろうこれ、今まで感じたことがない。

いつもなら頭の中で、いちいち体の動きを考えて、意識して漕いでいた。
「肩は脱力」とか、「ドライブ中はオールにぶら下がる意識」とか、「押し出してからフェザーを返す」とかとか。あげればキリがない、僕の課題。

その山ほどある課題の箇所に差し掛かるたびに、グルグル頭の中で修正点を反芻していた。練習中も、レース序盤もその繰り返しだった。

でも今はそうじゃない。いま僕は何も考えていない。
とにかく艇を感じること。それだけに意識を集中していた。
頭より先に体が反応してくれる。
そして、艇速がどんどん上がっているのを感じていた。

この感覚を手放したくない。そのままいけ。
今これをやめたら、しばらくはこの感覚、ここには戻ってこれないだろう。

艇への意識が増す一方で、外界からの刺激には酷く散漫な意識しか向けられない。後ろから翔太さんに何か声をかけられている。聞き返そうか。
いや、今はいい。艇が進んでいる。今のままでいいはずだ。

もしかしたら、これがボートなのかもしれない。どんどんと更新される。
今までボートだと思っていたものが、次の漕ぎでそうじゃないと気がつく。
この試合の中でも、何回かそんな感覚が自分に訪れている。

そういえば、練習中に、”艇とひとつになれ。”と翔太さんが言っていた。
もしかしたら、これがそうなのかもしれない。

自分の手とオールとか、足とストレッチャーとか、自分の体と道具の境目が曖昧で、自分の体を操っているような感覚だった。

うまく漕げているという感覚のおかげで、全身から力が湧いてくる。
普段ならレース後半、必ずバテて速度を落としてしまう箇所がある。
でも今日はどんどんと速度が上がっていく。
もっと速く艇を進められると思った。
1500m地点。六甲大との差は、7秒に縮まっている。

"勝ってもいいんだぞ"
居酒屋で翔太さんが言ってくれた言葉が、頭の中に響いた。
そうだ、勝ってもいい。勝ちたい。全身に力を込めた。

それからあっという間にラストスパートに入った。
翔太さんが叫んでいる。
「杉本、暴れろ!!」

1850m地点。そこで、六甲大のペアが見えた。

抜かした!
あの六甲大のペアよりも、僕らの方が先に進んでいる。
全く気がつかなかったが、突然背後から姿を表した六甲大を僕たちは抜き去っている。勝てる、勝てる、勝てる。
剛田さんと友永さんが漕いでいる姿を捉えることができた。

勝てる!と強烈に意識した瞬間に、急に水が重たくなった気がした。

あれ、なんだこれ、体に力が入らない。
さっきまで、軽々と押せていた艇に、急に重りが乗せられたみたいだ。

ヤバイ、このままだと負ける。
いや、焦るな、まだ僕たちの方が出てる。負けてない。

陸からほとんど怒号のような大歓声が響いている。

さっきまでの研ぎ澄まされた感覚が薄れていく。
外からの声もどんどん耳に入ってくる。
ひとつになれていたはずなのに。
今はバタバタと艇の上で暴れている自分がいた。

何かを掴みかけていたのに、六甲大を抜かしたのに。
翔太さんの最後の六甲戦なのに。
そう思った時には、両校ともにゴールラインを通過していた。

「杉本、ありがとう。ゴールだ。」
”ありがとう”というのは、ボートでは漕ぎ終わる時の合図だった。

我に帰り、横を向いた。さっきまで見えていた六甲大のペアがいない。
少し後ろを向くと僕らより先に相手がいた。

後ろの翔太さんは、俯いていた。
”また明日からよろしく頼むな。”
これもやはり居酒屋でのことだ。
俯いている翔太さんをみて、頭を下げながら言われた言葉を思い出した。

勝ちたい。
俯く翔太さんをみて、自分がそう思っていることを発見する。
なぜゴールしてからなんだろう。
今になってその気持ちがとめどなく湧き上がってくるのだろう。

ゴール地点。歓声は止み、皆がアナウンスの声を息を殺して待っている。

夏の日は高く、風のない絶好のボート日和。
そんなことにも、ゴールしてから気がついた。

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