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Drive!! #65 ボート X 小説

コース付近以外の戸田の風景は普通の住宅街といった感じだ。薬局からビニール袋をぶら下げて出てくる人や、自転車の後ろに子供を連れている人なんかがいて、生活感に溢れている。

自分たちにとってここは聖地でも、住んでる人はそうは感じていないと思う。当然のことだけど、改めて考えるとちょっと不思議な気持ちになる。
シングルスカルに興味を示す井上を、辰巳は親しみを持って見ていた。
***
俺は井上の胸中を想像した。

入部してから、ずっとエイトで試合に出ていて、今シングルに興味を持ってるのは、多分自分の本当の水上での実力を知りたいからじゃないかなと思う。

エルゴだと明確に出る自分の力が、水上だとどのくらい貢献しているのか曖昧な部分がある。クルーボートで勝った時、そのうち自分の力ってどのくらいなんだろうと疑問に思う気持ちは、誰にだって発生するだろう。

大学からボート始めたやつは、大体このくらいに時期にそんなこと思うもんだよなーと思った。俺自身もシングルで自分の力を試したいと思ったこともあるし。実際にそうさせてもらった時期もある。

「自分がどれくらい漕げてるか、不安なんだろ」

俺がそう返事をすると、"あ、はい" と慌てて返事をしている。その声がちょっとだけ裏返っていた。井上は、自分の頭の中の台本に沿って喋るのは得意だが、会話がちょっと苦手なところがある。

俺の返答のせいで、台本に狂いが生じたうようだ。次の言葉が出てきにくい井上を見て、申し訳ないと感じる。こいつが思っていること全部話し終えるまで黙って聞いていよう。

「なんか、俺ってお荷物になってないかなーって」

井上の内心は、想像以上に後ろ向きだった。

俺はてっきり、"自分は強いはずだ"っていうのを井上が証明したいんだと思ってた。

「なんでそう思うんだ?」
けっこう悩んでるっぽい。話を聞こうじゃないか。聞いてほしいから言い出したんだろ?なんでも聞く心の準備をした。

「別に、特にないですけど」
おいおい、お前から言い出したんだろ。
まあ、いいか、またそのうち言うだろ。自分のタイミングで。いつものことだ。そう思ったくらいに、喋りだす。

「なんか、下手になってる気がして」
ほーらね。と思ったけど、話しの内容的に茶化しちゃいけない系かもしれない。俺は気持ちを切り替えて、話の続きを待った。

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