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【第7号】自分の考え方を整理して怖がらず話し合う

2月某日|伝わりかたのはなし

「Zoom会議してました。」

家にいても外にいるだれかと会議ができるようになった。言葉の通り会議中なので仕事中ということ。なのでその最中にスマホに着信があってもわたしは基本的に出ない。改めて折り返す。

冒頭のセリフはわたしの働き方を知っている友人や家族に使っていた。だけど先日、「Zoomってなに?」という返答があった。これを境に相手に伝える伝え方は、相手によって使い分けないと伝わっていないよなと思うようになった。

この思いが浮かんでから思い出したこと。それはマンガ『金田一少年の事件簿』。どの事件かは忘れたが、明智さんか剣持さんが犯人をあぶりだすために外国人の容疑者に向かって「施錠」や「徘徊」という言葉で注意を促す場面。わざと難しい言葉を使って容疑者である外国人が本当は日本語に精通しているんじゃないかと疑い罠を仕掛けるためにおこなったもの。

言葉はだれかとコミュニケーションを取るためのものでもある。子どものAくんには分かりやすい言葉で伝える。仕事仲間のBさんには専門用語を使うなど。

子どもと一緒に帰宅してお母さんが「Aくん施錠してきて」とは言わない。やっぱり「玄関のかぎをかけてきて」と伝えるのが伝わりやすい伝え方だと思う。

冒頭のZoom会議の話に戻す。パソコンで仕事をしている人や若い人であれば「Zoom会議」でそれが何を示すものなのか伝わる。一方でデジタル機器になじみのない人や高齢の方にとっては「Zoom会議」が会議と分かっても、それが何なのかは伝わっていないと思う。

伝える相手によってどの言葉を使うかは、伝える側の一定の配慮が必要じゃないかな。これってコミュニケーションをとるためのやさしさ。この優しさは常に意識して過ごしていきたい。


2月某日|移動時間のはなし

わたしはフリーランスの立場で仕事をしている。家で資料作成をする日もあれば、外で打ち合わせをする日もある。個人的に外で仕事をする時間と家で仕事をする時間はいいバランスを保っていると思う。仕事場とは移動を伴うものがあった方がいいと思った。

移動がしんどいと感じる人もいると思うがわたしはそうではない。むしろ歓迎する側。理由は移動時間が頭のなかを整理する時間だから。行きであれば1日の組み立てができる。帰りは1日の振り返りができる。

さらに移動を良いものと捉えるのであれば、家作業ではできないいろんなものに触れることができる。基本的に車で移動をしているが、信号待ちで見かける学校帰りの少年や電話中の会社員などを観察できる。この観察は仕事の何かのヒントにつながる。

移動時間は単なる移動だけをしているのではなく、わたしにとって考える時間でもある。


2月某日|わたしのわがままのはなし

これから記すのはわたしのわがままなのかもしれない。

わたしは個人や組織をサポートする仕事をしている。コンサルタントであったり、コーチ、アドバイザーと言ってもいい。当人や企業が抱える課題や今後どうしていきたいかの道筋を一緒に練っていく仕事。

最近感じること。それは課題を解決していこう、自分を良くしていこうという気持ちのない人との時間はわたしには向いていないと思った。時間がもったいないような気がしている。サポートする相手が組織や団体であれば顕著に思う。

リーダーや人事担当者がやる気があっても、サポートされる側の人たちが後ろ向きな考えであったり、疑いの気持ちを持ちながらではなかなか前には進まない。課題を解決していこう、組織を良くしていこうという気持ちが芽生えてからやっと前進する。

せっかく使うわたしの時間。

課題を解決していったり、これまでとは違うこと、やったことないことには相当体力がいることは知っている。とはいえせっかく携わるなら関わり始める段階から前向きで、良くしていくことにポジティブな人たちと取り組んでいきたいのが正直な気持ち。この気持ちがある人は自分たちで活路を見出そうと努めているオーラを感じる。

きっとわたしの根底にはすべてを教えてもらおうと思うなという気持ちがあるのだろう。これはわたしがそうしてきたからだ。まずは自分で時間を確保して調べる。それでも分からなかったときに専門家や友人知人に相談をしている。

なにかを良くしたり、課題を解決したり、疑問を解消したいのであればまずは自分で自分たちで行動してみる。調べてみる。やってみる。その積み重ねはかならず糧になる。

これまで記したのはわたしのわがままなのかもしれない。


2月某日|会議の進めかたのはなし

会議がわたしは好き。
理由はいっしょに創ってる感じがするから。

この日も会議。不安要素をどう刷新していくかが議題。わたしがこの類の会議で意識的にしているのはたくさんラリーをすること。一般的には不安要素を持っている議題をあげた本人が思っていること感じていることを参加者に伝えて、それから全体で議論するだろう。構成としては以下の3段構え。

①議案者 → 不安要素を伝える
②参加者 → 全体で意見交換をする
③全体  → 意見のなかからベストを選ぶ

わたしはこれではせまい範囲内でしか考えが及ばずもったいないことをしているんじゃないかと思う。なぜなら考える内容が不安要素だけだから。だからこそ私が採用しているやり方はたくさんのラリーをすること。たくさんのラリーは広い範囲で物事をとらえられると思う。わたしだけではなくその場にいる全員がです。たくさんのラリーの中身を全部リストにしたら結構な量になるので一部を示すとこうです。

①わたし → 不安要素を伝える
②参加者 → グループサイズを変えて意見を共有する
③わたし → グループででた意見を受け取って可視化する
④全体  → 可視化した意見①を話し合う
⑤全体  → 可視化した意見②を話し合う
⑥全体  → 可視化した意見nを話し合う
⑦わたし → 共通項を見つけて全体に提案する

これでもかなり抜粋したものですが、各場面での細かなやり取りもたくさんある。そのなかで考えが議題の不安要素の外へどんどん人がって視野が広くなる。視野が広い状態で話し合うといろんなものが見えてくる。このいろんなものは参加した人数分の倍々ゲームのように展開していく。

会議の場なのでもちろん制限時間がある。形態によっては制約もたくさんあると思う。だけど、進め方ひとつで着地までの道筋の選択肢をたくさん作ることができる。

選択肢が多いことが必ずしも良いことではない。だけど選択肢を増やしたいと思うようになったら試しに選択肢を増やす試みも必要なんじゃないかな。


2月某日|カエルになるのはなし

信頼関係は目に見えないけど感じることはできる。

この日、パートナー企業のひとつから社員にならないか、とお話をいただく。この企業はうつでお悩みの方々をサポートしている企業。わたしはここに信頼する人たちがいると勝手ながら思っている。理由は仕事の向き合い方がわたしに合っているということ。日々、思いや考えを伝えあったり、フィードバックし合う関係性が太くある。

この日のわたしをたとえるならカエル。井の中の蛙のカエルです。井の中の蛙は大海を知りたがっている。空はどのくらい青いのか。どんな深さに触れていくのか、作り上げていくのか。楽しみである。


2月某日|考えの引っ越しのはなし

ビジネススキルにファシリテーションというものがある。集団で問題を解決するために、認識の一致や相互理解に向けたサポートを行い、成果を生み出す手法のことです。ファシリテーションには応用分野がある。

組織系ファシリテーション
チーム活動の中での問題解決や組織活性化などに用いられる。ビジネス活動に一番なじみが深い分野であり、合理的な成果とスピードが何よりも求められる。
社会系ファシリテーション
まちづくり、コミュニティ、NPOなど、社会的な合意形成が必要となる場面で用いられる。共通の目標や課題を発見することが成果であり、納得感を高めるために、そこにいたるプロセスが重要。企業でいえば労働組合やCSR活動。
人間系ファシリテーション
人間教育、社会教育、学校教育、国際教育など広範囲の分野を含むファシリテーション発祥の地。内面的なプロセスに関わり、様々な学習のお手伝い。企業では参加型研修やキャリアデザインなどに用いられる。

 特定非営利活動法人日本ファシリテーション協会より
https://www.faj.or.jp/facilitation/

わたしがファシリテーションスキルを認識するようになって約10年。はじまりは社会系ファシリテーション。地域おこし協力隊で沖縄県糸満市に移住して集落の方々と課題を発見したり、目標づくりを3年した。

つぎは組織系ファシリテーション。協力隊の経験を活かしてコミュニティやPTA、NPO法人の方々と諸問題を解決に導くワークショップを企画したり、講座を開いたりした。これも3年。3年目からは少しずつ自身のフィールドが中小企業になったり、個人にスキルをレクチャーしたりした。これは今も続いている。

最近は人間系ファシリテーションに興味を持ちはじめた。

わたしの解釈としてファシリテーションは、突き詰めていくほど個のあり方が社会にとって良い作用をもたらすんだろう。別の機会があればこのことをまとめたい。今回はこの辺で。


2月某日|田舎の本屋さんのはなし

3年前から読書にハマっている。ポピュラーなものから専門的なものまで読む。わたしは田舎で暮らしている。とはいえ沖縄なのでアマゾンで注文しても翌日には来ない。これもまた田舎の好きなところ。

最近、学問や論文を読むのにハマっている。国立情報学研究所(CiNii)で関心のある分野の研究者が何名かいるのだがその人を探してプリントアウトして読んでいる。著名な方となると書籍を出版されている。

読書が好きになり、研究者の考えにハマっているわたしにとって当然、手に入れたいもの。読みたいと思った本はブクログに登録している。

わたしの近所には2軒の本屋さんがある。2件とも異なるショッピングモールの一角にある本屋さん。本屋さんの雰囲気が好きなわたしは空いた時間ができれば行ってしまう場所。わたしがいま読みたい本のほとんどが新書。これは文庫本より少し大きい専門分野を扱った本のようです(最近知りました)。新書も文庫本と一緒で出版社別、その中で五十音順に並べられている。

アマゾンで注文して約1週間後に届くのを待てない状態のわたしは、1軒目の本屋さんに行く。がっかりした。新書の棚がそもそもひとつしかなく、欲しい本の出版社の棚にはなかった。

2件目の本屋さんに行く。新書の棚は3つ。期待が高まる。出版社を探す。あった。しかも棚一列が全部欲しい本の出版社。さらに期待が高まる。あ…か…さ…と探していく。ない。ちーん。家に帰りました。

那覇市に出ればジュンク堂書店がある。だけど少し遠いのでこの日はタイムアップ。アマゾンで注文したらいいのだが、わたしには「ほしい本レベル」というものがあって、レベルの高い本は本屋さんで買いたくなるんです。

ブクログの「読みたい」が溜まっていくばかりです。

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