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【第4号】情で動くまえに立ち止まってみて

1月某日|フリーランスの醍醐味のはなし

居心地の良さは数字で測れない。わたしのパートナー先のオーナーから受けた言葉を自分なりに解釈してみる。わたしは7年前からフリーランスとして活動をしている。だからこそ売り上げや顧客満足度などの数字と向き合い、今後どう活動をしていくのが得策かを練って実行していくのが世の常なのかもしれない。

だけどここでわたしが思ったのは、本当にそれで自分が満足した活動ができるのかということ。お客さまのことを一番に考えるのであれば、先にあげた数字から今後の動き方を練るのも悪くないと思う。しかしこの進め方をしたとき、フリーランスの醍醐味を味わえていないんじゃないかとも思う。

数字で結果が出る健康診断がそうだ。数値が悪いから改善しようと思う人もいると思うがこれは結果論。あくまで取り組んできた結果。数字にとらわれすぎてしまうとそればかりに注力しそうで、他の部分が悪化するのではないか。

わたし自身、経営をしている気持ちはそこまで高くない。無視しているわけではないけど経営するために活動をしているのではなく、わたしの思いをわたしの考えのもと、わたしの計画で進めて、目の前の人にどう受け取ってもらえるかが大切だと思っている。

数字はあくまでも結果。数字だけをみて改善していくのはやり方が変わるだけ。あり方は変えてはいけないし、一時的な結果だけを見てあり方も変えるのは気持ちが悪い。数字はただの結果ととらえて、自分のあり方を磨いていく方が居心地のいい状態で活動できるんじゃないかな。


1月某日|ばあちゃんのデジカメのはなし

年末に家の大掃除をした。といっても定期的に掃除をしているため家にあるものの整理をしたくらい。棚のなかから一台のデジカメが出てきた。ニコンのP5100という機種。サイズは小さいので持ち運びしやすくて多用していたカメラ。これは成人祝で祖母に買ってもらったものだった。

懐かしくなって充電しようと思ってバッテリーを抜こうと思ったら抜けない。工具ではさみながらやっと抜いた。バッテリーが膨張していた。このまま充電して使って、爆発でもしたらいやだなと思い、アマゾンでバッテリーを注文した。

数日後、無事に届きワクワクしながら充電し、カメラを起動。約5年ぶりに起動されたカメラで試し撮りをしてみた。画像を見るとなにかがおかしい。モニターが壊れているのか、被写体は移っているのだが、全体的に紫がかってノイズのような線が何本も入っている。映画『リング』で貞子が井戸から出てくるブラウン管のテレビ画面を見ているのような不気味さ。

早速修理に出そうと思ったが、15年以上前に購入したこのカメラはたして直るのかと頭をよぎる。カメラマンの兄に相談してみた。返事は、基盤が古くなって故障しているのではないか、ということ。併せてメーカーで修理できるか調べてくれたようだったが、やはり機種自体が古く部品がないからか修理すらできないようだ。

悲しくなったと同時に、デジカメも長い目で見れば使い捨てカメラなのかとショックを受けた。古いデジカメを直す方法はないのかな。ばあちゃんに買ってもらったカメラで撮影したい。


1月某日|100点より100%のはなし

わたしは支援者。研修やワークショップを開いて会社の課題を解決したり、計画をつくるお手伝いをしている。また、オープンダイアローグといった手法を使って大人の支援している。

この日、4歳の甥っ子に「おしごとなにしているの?」と聞かれた。とっさに出たわたしの答えは「おとなをおうえんするしごとだよ」。深く考えずに出たものだが、これは忘れてはいけない思いだと気づかされた。

仕事として支援をしているが、個人的には仕事をしている感覚は薄い。こんなこと言ったら同業の方やこれまでのお客さんに怒られてしまうかもしれないけど、わたしには仕事イコールやらなければならないことという意識が出てきてしまう。もう少し説明すると「仕事」は、仕事だから、お金をもらっているから、期限を設けてそれまでにできることをこなさなければいけないという義務感のようなものを感じる。

もちろんわたしも対価としてお金をいただく。時間かけてていねいに向き合ってできた仕事は納得感が高い。だけど、期限が短かったり、参加者の反応がいまいちだとお金をもらうことに申し訳なさが生まれてしまう。うまく言葉にできないのだけれど納得感の高い時間を過ごしたい。

おとなをおうえんするしごと。応援はする側の自己満足ではなく、目の前の人にちゃんと届くことが大切。これだけではなく、お互いに納得感が高い状態にいけるように、ていねいに向き合って、つくって、同じ時間を共有していきたい。そう思わせてくれた甥っ子の質問でした。


1月某日|気にしすぎのはなし

年末に「繊細さん」という言葉を知った。チェックリストをやってみたがほとんど当てはまる。

そしてこの日、パートナー会社の周年祭に参加した。立食パーティーのようなラフな感じ。参加者はみんな気心知れた人同士でワイワイおしゃべりをしている。わたしは人生で何度もこのようなパーティーに参加してきた。毎回、思うのはこの社交場で何をしたらいいのかいまだにわからないということ。

世間話をすればいいじゃんと聞こえてきそうだが、パーソナルな質問をどこまでしていいのか線引きが分からない。聞いたら「こんなこと聞いてくるの?」とか思われたらどうしようって思う。一方でわたしが質問される側であれば、なんでも答えられると思う。たぶんNGはない。質問をしてくるということはまがいなりにも相手がわたしに興味を示してくれたということだから。なんでも答えたくなる。答えることで相手と話をする機会を作れるのだから。

となるとわたしは他人に興味がないのかと言われればそうではない。むしろいろんな人に興味があるくらい。いろんな話を時間かけてしたいくらい。ただ…質問をするという行為が恐いだけなんだと思う。

来るもの拒まずスタイルで参加しているわたしはグラス片手に会場を見渡している。そう、見渡しているだけ。そのためよく聞かれるのが「楽しんでる?」。楽しそうに見せることが下手なだけであって、心のなかはめちゃくちゃ楽しんでいる。繊細さんは繊細さんなりに楽しんでます。


1月某日|井の中の蛙ちゃんのはなし

沖縄県が実施している「てぃるる塾」なるものがある。これは、家庭・職場・社会全体のあらゆる場で活躍できる人材を半年間の活動を通じて育成する講座。参加者は関心のあるテーマのグループに分かれ、各グループが自分たちや沖縄に感じる課題を調査研究し、発表する流れ。

わたしはアドバイザーの立場で参加者をサポートしている。この日は最終回。大ホールに全グループが集まって半年間の取り組みの成果を発表する日。わたしが担当したグループは『人生の選択』について発表した。

選択は英語で「Choose」。語源は「味わう」。選択をしたことで選択したものを味わって、ちがいや新たな発見が生まれるんだろう。すてきな発表だった。参加者はみな、普段とは異なるコミュニティのなかで活動し、そのなかで生まれる緊張感や充実感、達成感を味わえたんだと思う。

人によっては外を知るきっかけになったのかもしれない。人によっては自分の思いをやっと出せるようになったのかもしれない。人によっては助けられた気持ちになったかもしれない。知らない人と関わるということは、あらためて自分に気づけることなんだと思う。

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