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難しいことをするべきだ

高校2年の後期、そろそろ志望校を決定しないといけない時期。毎月のようにある模試の、志望校欄を芸大・美大の名前で埋めるようになった。絵を描くことは幼い頃から好きだったけれど、ぼくが第一志望にした大学は日本に2つしかない国立の芸術大学で、西日本では最も難しいとされていた。入試もセンター試験5教科5科目+実技3科目が必要で準備にすごく時間がかかるため、高校一年の頃から準備をしていても浪人は当たり前だと言われていた。通っていたのは理系に強いだけの普通の高校で、芸術の授業は一年生の頃に「美術・音楽・書道」の中から一つを選ぶだけだった。高2の後期の急な方向転換に両親も担任の先生もひどく驚いていたけれど当時の僕は言って聞かなかった。特に父親は、「芸術は人から教わるものじゃない」と言ってひどく反対していた。けれどそれから時間をかけて何とか説得し、高校2年の冬から高校3年の終わりまで約一年間、芸大受験のためのアートスクールに通わせてもらった。
初めて通ったアートスクールは技術的なこと以外にもたくさんのことを学んだ場所だった。これはそのうちの1つの話。

ぼくの受ける大学の実技試験には色彩構成という課題があった。与えられるテーマに沿った絵をアクリル絵の具を使って描くというもので、「画用紙を直線8本で分割し同じ色が隣同士にならないように色彩構成しなさい」「『甘い』『辛い』を描きなさい」「光の透過を描きなさい」などなど、色彩構成は実技試験の中でも一番なんでもありな課題だった。そしてぼくが一番苦手な課題でもあり、カレンダーに色彩構成と書かれている日はスクールへの足取りがとても重かった。

アートスクールに通い始めて半年ぐらい経った頃。デッサンや立体構成は自分でも実感できるくらい上達してきているのに、色彩構成は何度練習を繰り返しても上達している気がしない。その日も憂鬱な気分のまま先生から渡された色彩構成の課題をみて、「はぁ」と声にもならないようなため息をついた。「ため息を一回する毎に、天使が一人死んじゃうんだって!」と教えてくれたのは誰だっただろうか。
”絵が好きだから””芸大に行きたいから”わざわざ安くないスクール代を親に出してもらって絵を描きに来ているのに。自分で選んだ道なのに。けれど、誰かにやらされているわけじゃなく、”自分がやりたいからやっている”という事実が、さらにぼくを追い詰めた。キャンバスの前に座ることに苦痛を感じる自分が嫌だった。そう感じてしまうことこそが、まるで自分の絵に対する愛や熱量が足りていないことを証明しているみたいに思えたから。
そんな受験期のもやもやに突き動かされるように、その日の色彩構成でぼくは先生から教えられていたルールを破って、初めて暗い絵を描いた。

芸大の実技試験は自由だと思われがちだ。それは半分正しくて半分間違っている。
「芸術に答えはない」
それは実技試験も同様で、特にデッサンよりも課題文の指示が抽象的なことが多い色彩や立体課題は問題用紙に記載されている最低限のルールさえ守れば何をしてもいいことになっている。さらに、ルールの裏をかくことも許されているし、ルールを無視することさえも絶対に禁止されているわけじゃない。
「芸術に答えはない」
一方で、採点は教授たちの主観的な判断で行われる。複数人で採点する、誰の作品かわからないようにする、などの公平性を保つ工夫はされているけれど採点基準は公表されず曖昧だ。驚くことに、○○大学は日本画の教授が力を持っているからその人の好みに合った作品が合格しやすい、なんて採点者間のパワーバランスに関するうわさもあった。だからアートスクールでは普通の学習塾同様に、志望校の合格作品から傾向を分析し、対策を行う。受験あるあるの「傾向と対策」は実技試験にも当てはまり、そこで芸術の核である自由は損なわれてしまう。

ぼくの目指していた大学の色彩構成には次のようなルール(傾向と対策)があった。
・混色を使用すること(チューブから出したそのままの色は使わない)
・ビビットな色よりもくすんだ色をより多く使用すること
・色数は多く
・暗い絵やテーマは禁止

芸術と言っても所詮は大学受験、教授に点数を頂く為・・・のルールの数々に、「そんなもんだ」といつもは納得できていたけれどその日はなんだか我慢できなくて、反抗のつもりでとっても暗い絵を描いた。果たしてそれが何に対する”反抗”だったのかはわからない。反抗というより、怒りだったかもしれない。芸術とは名ばかりの、合格率を少しでも上げる為のせこくてしょうもない決まりごとに対して?一向に上達しない自分の下手糞な技術に対して?それとも、 嫌だ嫌だと言いながら、結局受験という社会の流れに必死についていこうとする自分の臆病さに対してだったのかもしれない。

描き始めてから3時間後、いつものように講評の時間が来て、同じ課題をしていた他の数人と一緒に作品をボードに貼りに行く。各々が自分の椅子をボードの周りに並べている間に、先生は腕を組みながらそれぞれの作品を眺めている。
最初の2人の講評が終わると、先生が指し棒でぼくの絵をタンと叩いた後こっちを向いて言った。
「なんで?」
講評を聞いていた皆の目線がぼくに集まる。
「なんで、って言うのは?」
「いや、なんでこんな暗い絵にしたの?」
「今回の課題文ならありかなと思って。」
「うーん。するべきじゃないな。」
「なんでですか?課題文の指示からは外れてないですけど。」
声が大きかったのか教室の全員からの視線が背中に刺さる。
「そもそも、なぜ明るくて楽しい絵ばっかりで、暗くて怖い絵を描くのはダメなんですか?合格作品のなかにも暗い絵は何個かあったと思いますけど」
顔が熱くなっていくのを感じる。次はなんて反論しようかとぐるぐる頭を巡らせていると、先生は困ったように腕を組み数秒考えるとこう言った。
「うーーーん、簡単だから」
「へ?」
想像していた答えと違って間抜けな声が出た。
「怖い絵とかホラー表現って簡単なの。人を怖がらせたり不快な思いにさせるのってすごい簡単で、人を楽しませたり感動させる方がはるかに難しい。怖い絵がダメなわけじゃない。そっちの表現が効果的な時はそれを選んで描いてもいい。けど”試験”っていう自分の実力を最大限示さないといけない場では、見る人を楽しませるっていう難しいことをするべきだと思うな。」

肩から掛けた絵の具セットが歩くたびに腰に当たりガシャガシャと耳障りな音を立てている。すっかり暗くなった帰り道、ぼくはさっき先生に言われたことを思い返していた。
「人を感動させるのは怖がらせるよりも難しい。」
「試験では難しいことをするべきだ。」
その通りだと思った。
あの答えを聞いた後、あんなにも溜まっていたはずの鬱憤は栓が抜けたように流れていってしまった。言い負かされた悔しさなんてのは1ミリも感じなかった。”そういうもんだから”、”いわれたとおりにやればいいの”なんて答えが返ってこなくて本当に良かった。高校の担任や進路指導部の先生は理由を教えてくれない。謎の校則や無意味に思える課題も「ルールだから」、「そう決まっているから」の一点張り。本当にうんざりだった。(当時は先生たちが何かぼくらには言えない秘密の理由を意地悪で隠しているように感じていたけど、そうでもなかったのかもしれない。彼らだって”理由”を知らなかったのかも。)
けれどさっき、先生は少し考えた後、理由をちゃんと説明してくれた。逃げずに。それだけで、心がけばけばしていたこの時の僕が先生を信用する”理由”として十分だったように思う。一向に絵が上達しないイライラを、幼稚な反抗で晴らそうとした自分の未熟さと惨めさと共にその日はベッドに入った。

この出来事以降、ぼくは2つの選択肢があった時、難しい方を選択するように心がけ始めた。どうせやるなら、やらないといけないなら、難しい方を選ぶべきだ。たとえそれが試験のような、誰かに自分の実力を示す必要がある場面でなかったとしても。水は低きに流れ、人は易きに流れる、と言うように、心がけていても、ふとした時に楽な方へ傾いている時がある。まして予測が外れることも多々あって、難しいと思った方が意外と簡単だったりする。難しい方を常に選び続けることはそれこそ難しいけれど、ここぞというときにはよりチャレンジングな方を選択できる自分でいたい。
そしてふと思った。あの時先生がぼくの質問を”そういうものだから”で終わらせず、自分なりの理由を真摯に答えてくれたのは、”難しいことをするべき”だからなのだと。


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