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ペルー旅行記①

Capitulo1 ペルー行き決定

2022年10月初頭
いつも通りのステーキと茹でたブロッコリーが山盛りのディナーを日本人留学生の友達と一緒に食べて食堂を後にした。年中夏日のフロリダ州だけど、10月の夜は昼間の蒸し暑さを忘れるくらい気持ちのいい夜風が吹いている。毎日降るスコールと皮膚を突き刺すような日光のおかげで青々と育った草木が揺れる音が心地いい。突然、後ろで雄たけびのような声が聞こえて振り返ると、さっき僕たちが出てきた扉の前でアスリート学科の学生達が輪になっているのが遠くに見えた。3か月前にはあんなにも魅力的な場所に思えた食堂も(ここがディズニーワールド?なんて冗談を言っていたほどだ)、今ではその輝きを失ってしまい他の教室棟と同じに見える。それは多分ぼくが既にアメリカの味に飽き始めていることと無関係ではないだろう。そんなことを考えていた時、寮までの道を一緒に歩いていた友達が突然こっちを向いてこう言った。

「ねえ、サンクスギビングに一緒にペルー行かない?」
「ペルー?」
ペルーってなんだっけ?あっ南米の国か、なにしに?てか、なんでペルー?
ペルーと聞いて何のイメージも頭に沸かない僕の顔がよほど困惑していたのか友達は続けて、ペルーはマチュピチュやナスカの地上絵がある国だということ、モハという僕も顔なじみの友達がペルー出身でその実家に招待されていることを説明してくれた。

「サンクスギビングの予定まだ決まってないってさっき話してたよね?正直、モハと男女2人だけよりも日本人のまさきがいてくれたほうが心強いなって思って!」
「行きたい!」
即答した。

サンクスギビング(Thanksgiving)とはキリスト教の感謝祭のことでアメリカでは11月の第4木曜日が国民の祝日になっている。さらに何かと休みの多いアメリカの大学生はその前後にも休みがもらえ実質1週間の特別休暇になる。感謝祭当日は家族が集まってターキーを食べる日というイメージそのままにアメリカではほとんどの学生が実家に帰る。

友達の言う通り、来月に控えるサンクスギビングのカレンダーはまだ真っ白だった。

初の南米でスペイン語圏、わからないフライト代、そこまで親しくないモハの実家。今振り返ると多々あった不安要素もその時は全く頭に浮かばなかった。
「やった!わかった!じゃあ一応モハに確認しとく。絶対来ていいよっていってくれると思うけど!」

そして後日その言葉通りモハから
「He's more than welcome to join us! (大歓迎だよ!)」
というDMが届き、ぼくのペルー行きが決定した。


Capitulo2 ペルーってどんな国?

ペルーと聞いて何をイメージするだろうか。
恥ずかしながらぼくはペルーについて友達が説明してくれた以外の知識を全く持っておらず、行くことが決まってからネットで検索し基本的なことを知っていった。

ペルーには世界的に有名な世界遺産が二つある。マチュピチュとナスカの地上絵だ。中でもナスカの地上絵は誰が何のために描いたのかが謎のままであることや、その絵が奇妙でかわいい動物の抽象画であることなど、ぼくの興味を惹く要素が多く、死ぬまでに一度は自分の目で直接見てみたいとひそかに想い続けてきた場所だった。(中学生の頃にハマっていた遊戯王にナスカの地上絵をモチーフにしたモンスターがいたことを思い出す。その見た目の神々しさから神タイプのウルトラレアカードだった。ぼくは持っていなかったけど。)
さらにWikipediaで、ペルーは留学しているフロリダ州と同経度上にあるため時差が無いことや、招待された実家のあるリマが首都であることを知った。そしてこれも航空券を調べるまで知らなかったことだけど、日本からペルーへはアメリカを経由するしかなく、既にアメリカにいるぼくにとってペルーはまさに”今行くべき場所”だった。

初めて知る情報ばかりの中でも特に驚いたのがペルーは1826年に独立するまでスペインの植民地であったということだ。その名残で現在も公用語としてスペイン語が話されており、若者世代の中には英語を話せる人も多いが、高齢になるにつれてその割合は減少する。そのため、観光業が盛んな国ではあるけれど旅行中はスペイン語を主に使用することになるということを日本語で書かれた旅行サイトで知った。
情けない話スペイン語を読むことも話すこともできないぼくはこの時点で少し緊張し始めていた。英語とスペイン語が堪能なモハがいるといっても、スペイン語を英語に、英語を日本語に訳しながら会話をするのはとても疲れそうだ。

引き続きネットにアップされているペルーの観光地や伝統料理の写真を眺めていると、ペルーという国は想像以上に日本とも、アメリカとも異なる場所であることが分かっていった。そしてその違いの主な要因は経済状況によるものであることが容易に推察され、頭に”発展途上国”という言葉がよぎる。(発展途上国[Developing country]という言葉は先進国が好んで使う言葉で、自分たちが”進歩した”国で、より”優れている”というイメージを連想させるためあまり用いるべきではないと先週の人類学の講義で教わったばかりなのに、、)

アメリカも日本と異なる部分は多くあり、カルチャーショックを感じたことも多々あったけれどペルーではそれ以上の異文化を体験することになるのだろう。今は画面越しに見ているこの場所に自分がいる情景を想像することがこんなにも難しいのは、「南米の国ペルー」という場所がぼくの想像を超えた未知に溢れているからなのかもしれない。
天井の換気ファンがぐるぐる回る寮の部屋でパソコンの画面をスクロールしていたぼくはかつてアメリカ留学が決まった時のように体の奥底で好奇心が沸々と湧き上がるのを感じていた。

「そうだぼくは南米の国に行くんだ。」

明日は図書館に3人で集まり旅行の計画を立てることになっている。ペルーについて詳しく知ったことが逆にペルーをより遠い場所したような気がするけれど、出発する日は刻一刻と迫っている。とりあえず準備としてスペイン語を勉強しはじめたほうがいいだろう。

Capitulo3 出発! 

2022年11月23日
サンクスギビング休暇は2日前から始まっていて既に多くの学生が実家に帰省している。ついさっきご飯を食べた食堂もいつもの賑わいは無くまばらに数人いるだけだった。


「パスポートわすれてない?」
「入ってる!」
「アメリカに再入国するためのJ-1ビザ交流訪問者ビザに大学からの旅行許可証明サインもらった?」
「もらったって!!」
モハが何度も持ち物の確認をしてくる。彼は今日も相変わらず10分遅れで集合場所の大学内の駐車場にやってきた。これまでも何度か旅行の計画を立てに集まることがあったけれど時間通りにやってきたためしがない。

車社会のアメリカでは大学生で自分の車を持っている人が少なくない。ぼくのルームメイトも親に高校卒業と同時に車を買ってもらったと言っていた。(その車がレクサスだった時は驚いたけれど。)そしてぼくらもこれからモハが自分の車で空港に連れて行ってくれる。

「なんか今度は自分がパスポートを持ってきたか不安になってきた。一応リュック確認しておこう。」
モハはそう言うと運転席を降り、トランクを開けて一度積み込んだ荷物を引っ張り出しパスポートが入っていることを確認し始めた。彼は心配性なのだ。そんな様子を見て後部座席に座っているぼくたちは顔を見合わせた。けれど、英語も大して伝わらない南米の国を旅行するには彼くらい慎重なガイドの方が安心かもしれない。一通り持ち物の確認が済んだぼくらが乗る車は19時15分、予定より15分遅れで大学の駐車場を後にした。

大学があるオーランドからマイアミ空港までは3時間のドライブだ。フライトは明日の朝8時45分発。深夜の長距離ドライブは危険だという判断で空港近くのモーテルで仮眠をとった後、早朝に空港に向かう予定になっている。

大学を出て20分ほど走った頃、ぼくらはユニバーサルスタジオ・オーランドのいったい何台収容できるのかもわからないほど巨大な駐車場にいた。モハがペルーにいる従妹からお土産としてユニバ限定のアップルキャンディを買ってきてほしいと頼まれていたからだ。ぼくらは車をジョーズエリアのC-1に止めたことを確認しあうと(忘れると二度と見つけられないほど広かった)、すでに日が暮れているにもかかわらず大勢の人がひしめくパーク行きのベルトコンベヤーに乗った。

子ども連れのファミリー溢れる夢の国。皮肉にもぼくはそこでアメリカが苦しみ続けている銃社会の実態を渡米後初めて目にすることになった。

長いベルトコンベヤーを降りると各駐車場から複数のベルトコンベヤーの合流地点になっているひらけた空間に出た。まだ入場ゲートまでは距離があるはずだけれどパークにつながる遊歩道へは何かゲートが設けられているようで非常に長い列ができていた。駐車場からパークシティへ入るにはチケットが要らないというのはモハの勘違いだったのだろうかなんて思いながら近づくと、その列は手荷物検査を待つ人たちだった。フェンスの横のゲートにはそれぞれ検査員が立っていて客はポケットの中を空にして身につけている貴金属をボックスに入れた後、金属探知機をくぐらなければいけないみたいだ。まるで空港さながらの仰々しい手荷物検査は多くのキャラクターでカラフルに彩られた空間に馴染まない。赤いバツ印のついた銃のイラストは「Welcome!!」と書かれたボードを持つミニオンの大きな看板よりも目を引く。列に並んで同じように金属探知機ゲートをくぐった後、おそらくこのような厳重な検査を設けるに至るにはそれ相当の事件が過去にあったのだろうと考えて少し陰鬱な気分になった。アメリカではとても現実的な方法で夢の国の治安が守られている。

映画で何度も目にしたような英語のネオンが夜空にギラギラと輝く” The アメリカの遊園地”な光景に内心とてもテンションが上がっていたけれど、残念ながら今日はユニバーサルスタジオが目当てではない。広大なパークシティを1時間ほど探し回り何とかお目当てのアップルキャンディを手に入れたぼくらは直ぐに車に戻りマイアミまでのハイウェイに乗った。

後ろに座る僕らが代わる代わるDJを務めそろそろ流したい曲も無くなってきたあたりでやっとモーテルに到着した。「やっと眠れる」と喜んだものの、予定よりも到着が遅れ、寝れるのは4時間ほど。何もないただ一直線のハイウェイを2時間近く運転してくれたモハにはお礼替わりに2つあるうち1つのベットを譲った後、ぼくらはもう一つのベットに背中合わせで潜り込み、気付くとモーテル出発の時間を知らせるアラームが不快な音を出していた。

「空港には搭乗時刻の3時間前に行こう」とモハお得意の心配性で朝6時に到着したターミナルは驚くほど多くの人で混雑していた。人ごみをすり抜けて飛行機のチェックインを済まし、空港内のカフェで買った割高な朝ご飯のパンを食べながら出発時刻を待つ。ぼくらが乗るのはSky Airlines Peruというペルーの航空会社の飛行機で、マイアミからリマまで乗り換えなし5時間50分のフライトだ。大学からマイアミ空港まで車で3時間もかかったことに比べると、カリブ海も赤道も超なければならない南半球の国まで飛行機で6時間足らずで到着することに驚く。

機内。二人に遅れて航空券を予約した為、モハと友達とは離れた席に一人座りながら徐々に動き出した滑走路を見る。飛行機に乗るのは渡米した時以来だ。次に飛行機に乗るのは日本に帰国する時だと思っていたのに、目の前の小さな液晶パネルには「LIMA到着予定2:35pm」と表示されている。未来はやっぱり予測しえない。飛行機が離陸体制に入ったというアナウンスに続いて、ゴゴゴゴゴという重力を振り払う轟音と共に飛行機が加速すると、横向きにGがかかり体が背もたれに押し付けられる。前もって立てておいた計画や予定がその通りに運ぶことはめったにない。ゴゴゴゴゴゴ。そもそもアメリカ留学も高校生の頃には考えられなかった未来だ。ゴゴゴゴゴゴ。けれど、今があの時予想していた未来よりも面白く楽しいものになっていることは疑いようがない。一際大きな音がして急に静寂になったかと思うと、タイヤが地面を離れた浮遊感を感じた。鉄の塊が空を飛ぶ未来を予測した人は何人いただろう。窓に映るマイアミの風景はどんどん遠ざかり海が見えた。

ぼくはこれからペルーに行く。


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