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子どもの好き。伸ばせてる?

うちの子供は不登校になると同じ時期からプログラミング教室に通い始め、小4年になり2年間通っているけど、この方一度も欠席はなく休みたいとも言わない。ちなみに息子は非定型発達のASD。

不登校というと一昔前はとても世間からの印象も悪くて、世間体はとても冷ややかな視線を送ってくれた。そういった世間体の悪気はなく自覚していない時代背景もあり、そういった噂が起きるとネタとなり不登校という言葉の一人歩きもしていたと思う。

まだまだ田舎はそのような風潮は拭いきれないところはありながらも、最近はsnsの発達の情報により不登校の子どもがいる親からの発信などもあり、同じく不登校の子どもを抱える親にとっては共感できたり安心できたりもする。自分自身もその一人。

世間体の視点には、その親のしつけや子どもに対しての接し方など、不登校になる理由は沢山あると思うけど、自分の学生時代のイメージでは不登校=不良の印象だけど、もちろん家庭の事情もあるだろうし先天的な要素があってのこともあるし、真実は中身をみないことにはわからない。

ご近所の視線はいつどのタイミングでキャッチされるかわからない怖さもある人もまだまだいると思うし、自分もそこは全く気にしないというわけでもないから。

周りの目があるから、、、と自然に考えてしまうけどその意識も疑ったほうがいいかもしれないと常々思うようになった。

自分の枠組みの中に子供を押さえつけるのは、子供にとって苦痛でしか無いだろうし親の枠を超えることができないとも感じている。

だって自分が親から与えられた影響は、大人になっても刷り込まれたものを剥がすのはとても大変だし、その考え自体親のエゴの場合も大いにあると思うから。

ご飯を食べる時は家族みんなで集まってから食べるべきとか、肘をついて食べるのはよくないとか。その家庭でルールはさまざまだと思うけど、子供が楽しくいられるなら影響は少ないと思うけど、必ずさせるのは苦痛でしか無く子供にとってストレスでしか無いかもしれない。だって自分がそうだったからそう思う。

おとなになっておじさんおばさんになっても楽しそうな人というのは、楽しみ方を知っているし、自分が喜ぶことを知っている気がする。

世間の常識的な人は疲れているようにも見えるし、なんだか楽しそうにはみえない。常識の枠を自分で選んでいるのにそのことも気付いていない人も中にはいるのかもしれない。何でも面白がったり自分が楽しいと感じることをしている人や、変化を求めている人は自分が見た中では、おじさんでも若く見えて元気なきがする。

そういうおじさんをみていると、人生を楽しんだ方が人生を豊かに歩んでいるように見えるのは、私だけが感じているのでしょうか。

子供時代に親や先生、社会から刷り込まれた考えや思考はできるだけ無い方が、より素のままのその子の特性で、のびのびと人生を楽しく豊かに暮らしていける。
そういう風におもってやまないのです。

子供もそうですが、親自身も楽しくいられたらその楽しさが、きっと子供たちにも伝わっていくのだと直感ですが思っています。


ここまで拝読いただきましてありがとうございます。
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