僕が新生児科医だったころのこと 2

ドラマのコウノドリなどで取り上げられて一般の方々にも少しずつ認知されるようになってきたが、新生児科医はNICU(新生児集中治療室)で働く。

ICU(集中治療室)というのはよくテレビでも取り上げられるが、それの新生児版と考えてもらうと分かりやすい。

違うのは、患者の大きさが全く違うことと、それぞれがクベースという小さな空間の中に入れられていることである。生まれたばかりの新生児は体温調整がうまくできず、外気温にそのままさらされていると低体温になってしまう。そのため、クベースは保温・湿度管理を行い第二の母胎として児の体を守るのが役目なのだ。

入院している児の疾患は多岐にわたる。

早産・低出生体重・感染・先天奇形・染色体異常・仮死・・・

ほんとうにさまざまだ。なかには1kg以下で生まれるような子もいる。そんな中に、僕は飛び込んでしまった。しかも、初日から当直だった。

「多分、今日はお産はないと思いますよー」

と産婦人科の先生の言葉に安心し、平和だといいなーと祈りながら床についた。「落ち着いている」「今日は多分大丈夫」という言葉ほど、恐ろしい言葉はないとその後の医者人生を通して僕は身をもって知る事になる。

朝4時頃・・・、寝ぼけ眼でPHSが鳴っているのに気づく。産婦人科の先生からだ。

「夜中に受診した妊婦がお産が止まらないのでカイザー(帝王切開)になります。今からオペ室に搬入します。大きさは1500gは超えていないと思います」

全身が総毛だった。2500g以下は低出生体重児、1500g以下は極低出生体重児、1000g以下は超低出生体重児とカテゴライズされ、1500gを切ってくると未熟性が目立ち人工呼吸が必要な可能性もある。

小児科になりたての自分が一人で対応できるわけはないのはすぐに理解できたので、すぐにオンコールの指導医に連絡をし応援を要請した。電話後、オペ室に急ぎ蘇生の準備を進める。

生まれた子がどんな状態で生まれるか分からないので、想定できる事態に対応できるよう準備を進める。気管挿管に用いる喉頭鏡のチェックをしながら、ふと思った。

「もし、指導医が間に合わなければ自分がやるしかない。」

膝が震えた。勉強はした。新生児蘇生の講習も研修医時代に受けて資格もとった。手順は全て頭に入っている。その通りにやれば大丈夫なはずだ。でも失敗したり大事な所見を見逃したりしたら・・・。

未来のある子どもを見るということは、その子の未来も背負うということである。また、その子だけではなくその家族の未来も背負うことになる。

いざ、子供を取り出すというタイミングで指導医が間に合い、全身の力が抜けた。

その後は処置や検査を終え、家族に説明を行った。

「おめでとうございます。かわいい男の子でした!」

説明後、生まれたばかりの小さな子供を見る父の目は優しかった。寝不足で朝から一仕事を終え、一気飲みしたオロナミンCが染みた。こうして僕は小児科医としての一日目を無事に終えた。

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