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何になりたいの?

大学院に進学することを周りの人に話すと「何になりたいの?」って質問されることがよくあります。

私もずっと何かにならないといけないと思っていました。

小さい頃、絵を描くことが好きでした。私が絵を描くと、おばあちゃんが喜んでくれるから、おばあちゃんが大好きな猫の絵をたくさんかいていました。うまくかけると額に入れて自分の部屋に飾ってくれて、私は大きくなったら絵を描く人になりたいなって思っていました。

でも絵を描く人にはならなかった。

高校生になって、進路のことを話す時のおばあちゃんの質問は、私が何をやりたいのか、私が何をするのが好きなのか・・・ではなくて、「何の仕事をするのか」に変わっていきました。

ただ漠然と、絵を描きたいだけでは、おばあちゃんのことも、学校の先生も納得させることはできなかったし、私自身も、何かにならないといけないんだと思うようになり、「資格をとること」が目標になっていきました。

「仕事で絵を描くこともあるよ」「ピアノも習わせてあげてたでしょう」という周りの説得と、勉強が得意な方ではない私でも何かになれるのなら・・・そんな理由で決めた進路が「保育士」の資格をとるための短大への進学でした。

「保育士になる」とおばあちゃんや親戚に話すと、なぜか褒められました。

ちゃんと仕事のことを考えててえらい。

おばあちゃん孝行できるね。

子どものお世話なんてみんなが嫌がる仕事をやるなんてすごい。

私が選んだ進路は、みんなが嫌がることを引き受ける進路なんだ。みんなが嫌がることを自分が犠牲になって頑張ることはエライことなんだ。おばあちゃん孝行をするためには早く仕事をしないといけないんだ。

そんな風に考えながらの進学でした。だから、同じ学校の友達たちが、「小さいころから保育士になるのが夢だった」とか「お母さんも保育士だから憧れてた」とかいう話を聞くたびに、なんとも言えない気持ちになって、私がここにいる理由は、大きな嘘をついているような気がして、私も同じように「小さいころからの夢だった」って話すこともありました。

短大を出たら、今度は大学に行ってもっと勉強がしたいな。もっといろんなことを考えたり、話したりして自分のことを知りたいな。

そんな風に考えるようになっていったことは、結局おばあちゃんにも誰にも言えず、応援してくださっていたゼミの先生からの大学への編入の話はこっそりと断りました。そして、卒業後は「幼稚園の先生」になりました。

「わたし」であることよりも、「幼稚園の先生」であることの方が重要で、その頃には、自分が何が好きなのかも、もうよくわからなくなっていました。自己紹介をする時はいつも、嘘をついているような感覚があって苦手でした。幼稚園の仕事の中以外で、絵を描くこともなくなりました。

そして、いつも不安でした。

だから、いつもいつも必要以上に頑張っていました。

苦手なことは克服しないといけない。みんなと同じようにできないことは努力が足りないからだ。わたしがわたしじゃなかったら、もっとうまくやれるのに。だからもっともっとがんばらないと。

何かにならないといけない

わたしが生きづらさを抱えた原点はその思いにあります。だから、わたしが大学院に進学を決めた理由は、「何かになりたいから」じゃなくて、「わたしが知りたいことがたくさんあるから」それだけです。

そう思えるようになるまでの道のりは長くて苦しくて、そして、今でもそれがキレイな思い出になったわけではなくて、苦しさと辛さの大切さを知ったから、一緒に歩いていこうと思えるようになった・・・

「そう思うことを大切にしている」の方がしっくりくる、それが今のわたしです。


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