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「犬と暮らしたい」気持ちを書いてみた(描いてみた)

彼女の名前は、ココ。
「She is so beautiful. 」

そんな風に飼い犬を紹介されたのは、初めてだった。
「性格が、すごくいいんだ」という。
紹介された本人も、嬉しそうに目をキラキラさせて、ツヤツヤの鼻を寄せてきた。

これは、先日、アパートのエレベーターの中での話し。

この国では、犬は、本当の家族だ。
週末になると、当たり前のように車に乗り、家族と一緒に海や山に出かけていく。
映画などで、ピックアップトラックの荷台に犬が乗っているシーンを見たことあるだろうか。
まさに、あれなんだ。

見ているこっちが、荷台から落ちないかとヒヤヒヤするけど、犬も飼い主も慣れているようで、なんてことない様子で車を走らせている。
日本で見たら、ハッとするような高級車にだって、犬は、助手席にちょこんと座っている。

そしてこの国は、動物保護に関してものすごく厳しいので、飼うときも、人間の方の審査が念入りに行われる。簡単には飼えない。
ちゃんと最後まで、責任を持って飼える経済力と、精神を持ち合わせているかどうか、チェックされるらしい。

そして、飼い始めには、ものすごく高いお金を出して、トレーニングを受けなくてはならない。
それは、「犬の」トレーニングじゃなくて、犬とよりよく過ごすための「人間の」トレーニングだと友人からきいて、さすが!とうなってしまった。

犬と暮らしたい。
ずっとそう思っているけど、家族に反対されて飼えないでいる。

小さいときには、犬を飼っていた。
ヨークシャテリアの男の子で、私が8歳のときにうちにやってきた。 

本当の友だちのように、一緒に成長して、なんと私が23歳になるまで長生きしてくれた。 
あんな小さい身体なのに長寿で、お医者さんもびっくりしていた。

性格も、子どものとき、成犬、老犬のときと、少しずつ変わっていった。
目の前で、生き物の成長を見守ることができたのは素晴らしい経験だったと、今では思う。

悔やまれるのは、彼の最後、この世でのお別れがいつきてもおかしくないと言われた日々、それを受け止めきれずに、あまり一緒にいてあげられなかった。
最後なんだから、その辛さを越えて、ずっとそばにいてあげればよかった。

彼がいなくなって何十年も経った今も、それは心に残っている。

今、もう一度、犬と暮らしたいのは、もしかしたら、そんな後悔の気持ちも少しは混ざっているかと思う。

でも、何より家族が欲しいから、犬と暮らしたいんだ。

あまりに犬が飼えなくてさみしいから、最近犬の絵を描くようになった。
いつも描いているうちに、だんだん上手くなってきて、別の楽しみができた。

犬と暮らしたいと思えば思うほど、
絵がどんどん増えていく。

6月26日 晴れ