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在外選挙に行くに至るまでの、ちょっとした気持ちの変化

雨がパラパラと降る、金曜日。
金曜日なのに、気持ちが上がらない。
空にはもったりとした分厚い雨雲だ。

馴染みのカフェに行って、気分転換でもするか

と、考えながら、ふと思った。

いつも気持ちを上げようとするクセがついてないか。

これも「同調圧力」なんだろうか?
ハッピーでいましょう、という圧力とか?

むしろ、こんな風に考えている自分がなんか面倒だなあ、と苦笑してしまった。

今回のウィルス問題がおきるまで、同調圧力について深く考えたこともなかった。
マスクやなんや、ウィルスに対する個人の対応に関して、日本のメディアでは、背景には同調圧力があると、やたら言われるようになり、改めて意識が向いた。

でも、名称は別として、
世の中はいつだって、人間の無意識の集合体みたいなもので動いてきただろうから、
今さら取りざたされるのもな、とも思ったり。

さて、今日は気持ちが上がろうと、なかろうと、選挙に行く日だ。

私は、海外でわざわざ特別な手続きしてまで選挙に行くタイプだとは、自分でも思っていなかった。

でも、この何年か、意見を持つ練習をしている。
大げさなことじゃなくて、投げかけられたことに、Yes かNoかを言うようにしている程度の話しだ。

なんでこんなこと始めたかと言うと、
自分には、全体バランスを調整する考え方がものすごく強い、と感じたからだ。

もちろん、それはそれで能力の一つだろうけど、
なにか、グループ内で文句を言う人がいると、

「あなたの気持ち分かります。
でも、このひとの立場に立ったらどうですか?ほら、他の考えも出てくるでしょう。物事は様々な視点から見ないと分からないもので、簡単には決められない」

と言った考え方になってしまう。
この考えは、自分を年よりも老けさせていたと思うし。
結局、キミはどうしたいんだ!と、イラッとされたこともよくあった。

そんな自分に飽きてしまった。

それで、日常の小さなことでも、
どちらかと言うとYes、どちらかと言うとNoでいいから、言うようにしたいと思ってるんだ。

選挙はまさにそれだった。

正しい、正しくない、じゃなくて、ただ意見、考え方を表明する場だ。

一票ぐらいじゃ、世の中は変わらない
どの人だって、どの組織だっておんなじだ

そんな憂いより、せっかく意見を言う場所があるんだから、期待じゃなくて、義務でもなくて、爽やかに意見を言いにいくように投票したいと思っていた。

どの国でも、大使館や領事館は、法の下で日本である。今回ほど、「日本」を感じた場面はなかったかも。

案内されたのは、いつもと違うエリアで、会議室らしきところが投票所として作られていた。
全てが日本の選挙とおんなじだ、システムも、投票するブースも。
スタッフも皆んなマスクしているし、自分もその時だけ(無意識に)マスクをした。

日本での投票と違ったのは、投票用紙を何重にも自分で封をしたこと。最終的に、さらに、それをスタッフが封筒にまとめ、封をするのを目の前でチェックするところまでが一つの流れだった。

私の意見が海を渡っていくんだ、と感慨深く眺めた。