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M−1グランプリが教えてくれたこれからの授業の在り方

お笑いが大好きで、毎年M-1グランプリを楽しみにしていますが、決勝に残ったコンビ名を聞いてほぼ知らないコンビばかりだったOKAMASAです。

さて、今回は年末恒例のM-1グランプリについて、キングコングの西野亮廣さんとNON STYLEの石田明さんの対談YouTubeから、学校の授業に当てはめて、これからの授業の在り方を考えてみました。キングコングの西野亮廣とNON STYLEの石田明さんの対談YouTubeはこちらから

結論から言うと、これからの授業は、これまでの授業とは別物の新たな授業を創ることが重要であるということです。

YouTubeで二人が対談している中で、漫才は「道」であり、それを基準に評価されないと、「型崩れ」を起こししまうと懸念していました。詳しくはYouTubeをご覧ください。

これまで授業を見る視点として、生徒の資質能力を身に付けることができたかを評価してきました。授業の目的として、生徒の資質能力を伸ばすことは重要なことです。しかし、伸ばすためにどんな手立てを教師が講じたかに注視しすぎています。

その要因は、主に授業を評価するのは、これまで技量を積んできたベテラン教師だからではないかと思います。決してベテラン教師が悪いというわけではありません。これまで培ったてきた技量は脈々と受け継がれてきた熟練工の技といってよいほど優れています。

授業が伝統芸能として守られていくものであれば、時間をかけ、先輩の背中を見ながら技を受け継ぐことは必要です。しかし、時代は令和。個別最適な学び、協働的な学びといった生徒が主体的に学び、資質能力を高める授業を進めていく必要があります。

授業は教師主体の教えるから、生徒主体の学ぶに変化しなければなりません。一斉授業が明治時代から始まり、約250年が経ちました。ある種伝統芸能のようなものと思い込んでいます。これだけの時間をかけて受け継がれてきたものなので、崩して良いものなのかと二の足を踏んでしまうのも分かります。

まずは、今の授業の目的に立ち戻る。

生徒が主体的に学ぶ授業を創る。


授業は伝統芸能ではないのです。一人一台タブレットを手にした子どもたちが目の前にいる状況で、教師はこれまでと同じような役割をする必要はなく、子どもたちが自ら学びに向かうようにする手立てや仕組みを考えることに時間を費やす必要があると思います。

これまでの一斉授業の型を崩して新たな授業を、若手もベテランもみんなで模索し、新たな授業を創っていきたいと思います。

ご支援いただける方には、全力で感謝申し上げます(^_^)/