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1ミリの氷の上の物語集

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薄氷を踏むように、危ない物語を5編、集めています。
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記事一覧

チョコレートケーキ

若い娘とその情夫は、朝日の中を歩いていた。 娘は明け方まで六人の客をとって、 合わせて四十五本のバラをもらい、 シャンパンを二本開けたものだから、上機嫌だった。 稼いだ金を数える情夫がめずらしく娘を誉めると、 娘は太陽を大きな瞳に映して、 「仕事だもの」と勝ち誇った物言いをした。 若い肢体には、疲れた様子はみじんも見当たらず、 娘からは、ただ鼻唄に似た独り言が漏れ聞こえていた。 「夜(よ)が明けたら…夜(よ)が明けたら…」 二人が朝日の差し込む明るいカフェテリアに入ると、

フェレット

土曜日の夜になると、ふたりには奇妙な取り決めがあった。 男の生えかけの髭を、女がピンセットで丁寧に抜いていくのだ。 一本一本、痛みを伴いながら、その痛みをふたりで分かち合いながら。 男は大学に通うかたわら、バーテン見習いをしている、 女より2つ年下の美しい青年だった。 イタチ科の細長い小動物『フェレット』を飼っていて、 そいつに『よしこ』という名前をつけていた。 そのよしこは、彼が初めてこの町に来てナンパをした女の名前だった。 男は屈託のない笑顔で、 「あまりに不美人だった

神田さん

電車に乗って出かけるわけでもないのに、 駅に行っては去りゆく電車を見送るのが好きな女がいた。 その電車には、今から出征する自分の許嫁が乗っていて、 いつまでもこちらを見て涙を堪えている、 と想像するのがたまらなく良いのだという。 電車にはそういった利点があるとその女は語った。 というのは、その女が、たまにやっている暇つぶし、 「神田さんごっこ」に、わたしが巻き込まれたからだ。 女は街を彷徨い歩きながら、手頃な相手を見つけては、 「神田さんですか?」と話しかけるのだ。 相手は

ベロニカの雨

明るかった午後の空は、厚い雨雲に覆われて、 早足に歩くベロニカの灰色の瞳の中を流れてゆく。 胸騒ぎがした。 家では、父と母と三人の姉たちが、 ベロニカの持ち帰るウォッカの酒瓶を待ち侘びている。 途中で案の定、雨が土砂降りになった。 ベロニカが家の前までとぼとぼ歩いていくと、 そこには大きな宮殿がそびえ立っていた。 不思議に思ったベロニカが、 コンコンと玄関の扉をノックすると、 召使が2人、にっこり笑って出迎えてくれた。 中では、百人の踊り子たちが艶かしいダンスをして 父の

とり占い

よく当たる占い婆さんが言いました。 スズメを十羽数えると、幸せになれますよ。 カラスを十羽数えると、不幸せになれますよ。 うぬぼれ女は、自分が不幸せなのか知りたかったので、 恋人の、片腕のジョニーが来るまで、カラスを探すことにしました。 電線を見上げたけれど、止まっているのはスズメが二十二羽。 うぬぼれ女はハッとしました。 二十二羽もスズメを数えたということは、幸せが二倍になって訪れる。 そう思ったけれど、二倍とちょっとの幸せってなにかしら? 立派な燕尾服を着た、ヴィオラ奏