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変異と多様性:集団内の多様性はなぜ維持されているのか

「集団内の遺伝的変異がなぜ維持されているのか」について、誤解している人は多い。「遺伝的多様性は、適応進化を促進するために維持されている」と考えるている人も少なくない。また、「遺伝的多様性は進化にとってポジティブ」であるという理解から、多様性を構成する遺伝子(アレル)は何かメリットをもたらすものであると考えがちである。これらの誤解は、「多様性」という言葉がポジティブな意味に受け取られがちであることと関連しているからかもしれない。ここでは、遺伝的多様性と進化の関係を解説した『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?進化の仕組みを基礎から学ぶ』の第二章の抜粋と「変異と多様性」の用語についての解説を載せた。


集団内の遺伝的多様性は進化にどのように重要なのか

 人間社会では、「多様性」は、様々な場面でポジティブな言葉として用いられる。たとえば、困難な問題解決にあたって、多様な視点や考えをもった集団は、均一な集団に比べて優れているといわれる。
 生物進化においても、集団内の遺伝的多様性(集団内に存在するゲノム間の変異の全体あるいは程度)が高くなると、様々な環境で生存できる変異(アレル)が存在している可能性が高くなり、遺伝的多様性は高いほど進化を促進するとみなされる。また、集団内の遺伝的多様性が小さい集団は環境の変化に対応できず、絶滅の可能性が高くなるとも思われている
 しかし、この多様性がもたらす恩恵あるいは利益という認識には注意が必要だ。たとえば、「多様性が高くなるほど、環境で生存できるアレルが存在している可能性が高くなる」というのは、集団中のごく一部のアレルのみが生存可能ということだ。つまり、遺伝的多様性が高まると、集団中に、個体の生存や繁殖への効果が有利になるようなアレルと同時に、有利にも不利にもならない中立なアレルや不利になるような有害なアレルが増大するということでもある。
    集団中の多様性が高いほど有利であるという言い方は、有利な個体が集団中に含まれる可能性が高くなるという意味だ。しかし、集団に属するほかの個体にとってみれば、有利な個体に取って代わられるのでメリットはない。この認識は「集団内の遺伝的多様性は、集団が進化できるように、あるいは集団が絶滅の可能性を下げるために進化」したという誤った理解を導きやすい。「多様性が失われると、その集団は環境変化に耐えられなくなる。環境適応のために多様性はあるのではないか」と考えてしまう人は少なくない。この認識が誤りであるということを、遺伝的多様性がなぜ集団内に生じているのかという点を掘り下げながら考えてみたい。

変異ではなく多様性?
「多様性」と「変異」は、進化の説明に欠かせぬキーワードである。ところが、これらの言葉と進化の関係にはかなりの誤解が広がっている。とくに「多様性」や「変異」がなぜ生成、維持されているのかという問題については、一般の人ばかりか、生物学の専門家でさえ混乱しているようだ。
  ヒトの色覚を例に取ろう。色の見え方に個人差があるのは皆さんもご存じだと思う。赤と 緑の区別がつきにくかったり、緑と茶色、青と紫が混同しやすかったりする人など、色の見 え方には様々なタイプの違いがある。これは、オプシンと呼ばれる特定の光波長域に応答す るタンパク質を作る遺伝子に変異が存在するからだ。このような色の異なる見え方を、これ まで「色覚異常」と呼んでいたが、2017年に日本遺伝学会が「異常」ではなく「多様性」と捉えるべきだと発表した。
現代の社会において、このような色覚の違いはそれほど生活に影響するわけでもない。だから「異常」という言葉が差別に繋がる場合も考えると、そう呼ぶべきではないという主張は適切だろう。用語改正を主導した1人である当時の日本遺伝学会の会長(2017〜2020年度)は『「色のふしぎ」と不思議な社会』(筑摩書房)という本のなかのインタビューで、ヒトの色覚の違いについてこう述べている。

   生物学の観点からは、ある尺度で見た時に、良い悪いというのが出てきても、それは、あくまで一つの尺度で見たら、ということです。それを効率が悪いものとして、排除するなら、実は、別の面で効率がいいものを排除するのと同じです。色覚異常を「異常」などと言っていたら、とてももちません。

  そして、色覚異常のような遺伝的に異なるタイプを、ネガティブなものとしてではなく、進化を支えてきた多様性の事例として語るべきだという。彼はその多様性を尊重する理由として、色覚のそれぞれのタイプは「それぞれその時、その時の自然の選択として、種を救ってきた」と説明している。さらにその解釈を、ほかのすべての個体間の遺伝的違い、ゲノム間の遺伝的違いにまで適用し、遺伝的な違いは「変異」ではなく、「多様性」と呼ぶべきだというのだ。
    現代社会において「多様性を受け入れる」という認識が求められるなかで、この発言は「もっともらしい」「正しい」意見のように聞こえる。また「異常」という言葉には、頻度の 小さい稀なという意味と、何らかの機能を阻害している、正常でないという意味もある。稀 なことと正常でないことは必ずしも一致しない。そうした点からも、異なる色覚のタイプをもっている人を異常というべきではないという指摘には賛成だ。
    しかし「進化学の観点」から見ると、この遺伝学会会長の見解に見られる「多様性の尊重」の理由、遺伝的に異なるタイプは「それぞれその時、その時の自然の選択として、種を救ってきた」という説明は誤解である。
   この見解によると「個体の間の様々な遺伝的な違いは、何らかの異なる側面で、それぞれ に優れた面がある」と解釈できる。しかし後述するように、集団中にある個体間やゲノム間 の違いのほとんどは、有害か中立なアレルによるものだ。また、第1章でも述べたように、 有害なアレルの集団中での頻度は低いとは限らない。この発言にあるように、 それぞれ別の利点をもっているという理由だけで、異なるタイプが維持されているということはない。この点については、この節で詳しく解説したい
 また、このインタビュー中のコメントにはもう1つ大きな誤解が含まれている。それは、多様性があることで「種を救ってきた」という説明である。同様の説明は、2022年の東京大学大学院入学式の総長による式辞のなかでも述べられている。そこでは、ダイバーシティの重要性の意義を説明するために、クモザルにおける色覚の多様性が例に挙げられており、総長は「そうした多様なタイプの個体がいることは集団の生存にとってメリットでもあります」と述べた。
    この、多様性は種や集団にメリットがあるという説明は進化学的には誤りだ(これについては第3章で解説する)。人の多様性がなぜ尊重されるべきかという点では、メリット・デメリットに関係なく、多様な個人を尊重することこそが重要なのではないだろうか。実際には、生存率を下げるようなアレルをもっている人が多様性を構成している場合が多く、個人や集団の進化的メリットによって多様性の意義は語れないのだ。ところで、ヒトの異なる色覚の主要なタイプがなぜ維持されているのかについては、まだよく分かっていない。また、少しだけ見え方が異なるような多数の変異は、現在の社会では、適応度に影響しない中立な変異だろう。過去の進化の過程でも中立な変異であるか、もしくはわずかに有害なアレルが色覚の違いに影響していたと考えられる。いずれにしても、ヒトのすべての色覚のタイプのそれぞれに、異なるメリットがあるとはいいがたい。
     このように多様性と変異をめぐる問題はなかなか厄介で、生物学者でさえ誤解したり、混乱したりするほどである。ここではその厄介な多様性および変異と進化との関係について、丁寧に紐解いていくことにしよう。

変異と多様性という用語の混乱について
「生物集団のなかで、個体によって様々な性質が異なっている」という現象は、生物進化を引き起こす最も重要な要素の一つである。 その違いがすべて次世代に引き継がれるわけではなく、一部の違いがより多く次世代に引き継がれることで進化は生じる。
 この集団内でみられる個体間の性質の違いは「個体変異(individual variation)」とよび、その違いのうち、遺伝的(ゲノム配列の違い)な違いが「遺伝的変異(genetic variation)」である。また、個体や集団の性質が、場所や地域など地理的に異なっているとき、地理的変異(geographic variation)という。
 この変異=variation(つまり個体あるいは集団間に見られる形質の相違)という用語は、古くから生態学、進化学で使われてきた。ところが、2017 年 9 月,日本遺伝学会が遺伝学用語の和訳を新たに策定した。そこでは、いくつかの重要な改訂が行われているが、variationを「多様性」と訳すとしたのだ。
 生態学や進化学では、多様性はdiversityの訳である。遺伝的多様性とは、集団内に存在している異なる種類の遺伝子(ゲノム配列やアレル)の全体、あるいは尺度や程度をいう。つまり、変異は個体間や集団間で異なっていること自体を意味するのに対し、多様性は「様々に異なっていることの様相、あるいはその程度」を指しているのである。
 したがって、variationを多様性と訳すのは、かなりの違和感があるし、正しい意味が伝わらない可能性もある。たとえば、生存を低下させるような有害なアレルが集団中に存在している場合、deleterious variation(有害変異)と呼ぶが、これを有害多様性とはいわない。また、前述した地理的変異(genographic variation)を、地理的多様性と呼ぶのは違和感がある。実際に、生態学、分類学、進化学などの分野の研究者は、この遺伝学用語の改訂に賛成していない(2)。
 

続きは『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?進化の仕組みを基礎から学ぶ』の2章2-2をご覧下さい。集団内の遺伝的変異がなぜ維持されているのかについて詳しく解説しています。

以下は、以降の項目です
集団内の遺伝的多様性とは何か
多様性は諸刃の剣
突然変異や移動による遺伝的荷重
適応的に進化したゆえに生じる遺伝的荷重
なぜ集団中に遺伝的多様性が維持されるのか
自然選択が維持する変異
環境が場所によって異なる場合の遺伝的変異
時間変動する環境は遺伝的変異に影響するか
遺伝的変異を維持する主要因
そもそも遺伝的多様性はどの程度なのか?
個体数が多い=遺伝的多様性も大きい?
自然選択による遺伝的多様性の減少
遺伝的多様性と進化の関係

以下で『ダーウィンの進化論はどこまで正しいのか?』の「はじめに」の全文が読めます。


  1. 川端裕人. 色のふしぎと不思議な社会. (筑摩書房, 2020).

  2. 浅原正和. 「Variation」の訳語として「変異」が使えなくなるかもしれない問題について:日本遺伝学会の新用語集における問題点. 哺乳類科学 57, 387–390 (2018).



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