ゆるく安芸高田市を考察していく【目線の違い①】
大所高所っていうけど
よく安芸高田市の市議会の中で石丸市長が「大所高所で見てください」的な話をすると思う。
この「大所高所」ってコミュニティーが小さくなればなるほど分かりづらくなっていく気がする。
数百人規模の中小企業ですらこの「大所高所」がわからない上層部がいたりするし(経営者だとしたら致命的すぎるけど)、ましてや「市民に寄り添おう!」と思っている市議会議員にしても、実は厄介な目線ではある。
例えば「古い施設を直したい🥺」という要望があったとする。改修に1000万、管理運営に年間300万必要だとしよう。
ただ、日常的にその施設を使う人は市民2万5000人のうちの10人しかいない。そうすると、残りの2万4990人は使わない施設のために税金が使われる形になってしまう。
10人の不便をとるか、2万4900人の不利益をとるかといえば、大所高所で見れば10人に不便を強いる他ないわけだ。
この場合の対応策としては、他地域の同等の施設を使ってもらうか妥当な予算で使える別の拠点探しになっていくのかな。(この妥当な予算っていうのもなかなか判断難しいところではあるけれどもね)
これがポピュリズムな視点で描くと「消える公共施設。地域の拠点が迫られる選択」みたいな見出しがつくわけよ。
そして、例えば市議会議員がこの施設がなくなるかもしれない可哀想な10人のために動く方が、なんとなく「市民に寄り添っている」ように見えることはないだろうか?裏側で2万4990人が不利益を被っているにも関わらず、だ。
今までの地方政治
今までだったら「10人の不便を2万4990人、もしくは国のお金で支えよう」ができていた。(今までといってもおそらくリアルなところで言えば20〜30年前までだと思うけど)
要は日本中に金があって国に言ったらじゃんじゃん金も降りていた田中角栄の時代やバブル最盛期の頃だ。日本中の道路や橋が新しくなり、ど田舎にバカデカい施設がバカスカ建っていた。
そうしてバカスカ建てた道路、橋、施設には寿命がある。それがこれから先20〜30年の間に起こることだ。
改修するためには建設当時と同等程度のお金がかかっていく(緩やかに新築していくみたいなもんだ)し、施設の立て直しとなったら同等のものを建てようとしたら現代の貨幣価値ならさらに高くなってしまう。特に今円安だしね…。
しかしながら入ってくるお金はどんどん少なくなっていく。
となると、今までのようなお金の使い方では借金が増え続け、赤字が止まらなくなってしまうわけだ。
何も策を講じないでいると、必然的に起こるのが財政破綻である。
財政破綻ってなんぞや
財政破綻といっても多くの人からすればあまり現実感がないと思う。
夕張市がニュースになったのを覚えている人も少ないだろう。
夕張市は元々炭鉱の町で、最盛期の人口は11万6000人(昭和35年)いた。しかしながらエネルギーが石油などに代わり、炭鉱閉山が相次ぎ平成17年には人口は1万3000人まで減ってしまう。
炭鉱産業の終焉を危惧した夕張市は、1980年代前後から炭鉱に代わる産業を創出せねば!!!と手を出したのが観光産業である。そらもうめちゃくちゃ国から金を借りて一気に作ったぜ、今の廃墟を。
国から怒られて金借りれなくなったら、運営してる三セクに銀行から金を借りさせて観光に投資をしまくった。元々資源がある市だったが故の暴走だろう。
その結果、約600億円の赤字を抱えて財政破綻した。
今現在の夕張市はどうなっているか。
再建の目玉にしていた映画館は市役所のまん前一等地にあるのに廃墟化、肝煎で建てた「石炭の歴史村」はほぼ廃墟化し、ごく一部の施設のみ細々と運営するに留まっている。(この辺はこちらあたりを参考にしてくれた方が理解が早いと思う)
市役所職員も給与が4割カットされ大量に退職者が出て住民サービスは低下。さらには余力のある若い人は市外へ転出した結果、現在では高齢化率53.94%という全国的(全国平均は29.1%)にも突出した人口構成比になっている。(2023年9月時点で人口6553人中3535人が65歳以上って改めてすげーな)
何より財政破綻した夕張市は、地方自治体でありながら財政再建団体に指定されたため、国の管理下にある。予算編成も新規事業の実施も国の同意が得られなければ何もできない。粛々と借金を返し続けるほかない。(現在も刻々と返し続けている模様が伺える借金時計という悲しい時計がHPにあった)
市民は借金返済のために全国的に高い市民税を払っているのにも関わらず、最低限の市民サービスしか受けられない。図書館や美術館などの公的施設も採算が合わないからと閉鎖を余儀なくされた。
要は「自治」の権利が夕張市にはないのだ。
夕張市以外にも財政破綻した町村はあるが、ここは合併をして難を凌いだ。借金の代償に自治できていた町が消滅したわけである。
要は財政破綻をすると、住民自らが自治することができなくなるという認識で大方合っていると思う。
(ちなみに裏話になるが財政破綻した夕張市に東京から出向に来ていた職員が元夕張市長であり現在の北海道知事の鈴木直道氏だとか。どうにかしないとって思ったのかな多分…)
自治やめる?合併して市を消す?それとも…
「できるだけ長く安芸高田市を残したい」と市長が言っていたが、未来永劫存在し続けることはまあ日本の歴史から見ても現実的ではないので「できるだけ長く」という表現をしたのだろう。
そしてこのまま以前のような税金の使い方をしていたら近い未来に財政破綻をしてもおかしくない、もしくは他の市町村と合併しないとどうにもならなくなる。
それをできるだけ避けるために「大所高所から見て」「できるだけ長く財政・自治を維持できるように今から緊縮(施設の廃止など)を始める」ことを市長が選んでいるのはどの程度理解されているのだろうか?
(将来的には安芸高田市が無くなるのは必然という若干そこは諦めてるニュアンスが伝わってきて↑の努力のノイズになってるのがこの市長嘘言わなさすぎてウケるなと思っている)
地方で生きるための覚悟
結局安芸高田市のような地方の過疎化・高齢化が進む場所に住み続けるのに覚悟がいる時代になってきてしまったのだ。多少不便でも仕方がない、行政ができない地域の事は自分たちでやらねばならないという覚悟だ。
そして、その覚悟が必要になってしまった理由は過去に市民が選んだ市議や市長の政策や施策の結果だ。もちろん過去のイケイケの時代にこんな未来を予想するのは不可能だと思うし、過去の市議や市長、そして市民はそれが良いと思ってやってきたのだと思うが、選択してきた結果が今である。
不便になる現状を覚悟を持って受け入れるか、高齢者が自分たちは寿命で逃げ切って子供や孫世代に自分たちの負の遺産を肩代わりさせるか(子供や若い世代は自分が選んだわけでもないのに勝手に負担がいくのは大変理不尽ではあるが)、都会に移り住むか。ざっくり今問われているのはこの3択だろう。
個人的にはまだ市長がそう明言してくれているだけマシだと思う。他の自治体には今でも茹でられているのに気付いていない蛙のような市民は山ほどいるだろうし。
本当に大所高所で判断するか、近視眼的に判断するか。まずこの選択の権利があることが恵まれていると思ってしまう。
だらだら書いたけど同じようなこと市長が財政説明会で言ってたよ!
一旦この目線の話の大枠はここまでにしておく。
次回は問題になった施策ごとあたりを深堀りしていきたい所存〜✌
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