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額に汗して働いて何が悪い 〜勤労日本人のつぶやき〜

ブラジルでは、日本人と言えば「正直で勤勉」という評価を受けていますが、もともとヨーロッパのキリスト教徒たちは南米の富を略奪して本国に持ち帰る目的でブラジルにやってきましたから、汗を流して働くことを嫌います。

それに強制連行されてきた奴隷やその子孫たちも、もともと働く気はありませんから監督が見張っていなければ怠けます。

そんなブラジルで日本人が普通に働いても働き者に見えますし、中流ぐらいまでならすぐに這い上がることが出来ます。

しかし額に汗して黙々と働く人々は、金を転がして儲ける口八丁の連中にいつも利用されてしまうので、いつまで経っても富裕層にはなれません。

旧約聖書の創世記第3章に「エデンの園のりんごを食べた人間に対して、額に汗してパンを稼ぐ労働の罰が与えられた」と書かれてあるように、一神教徒にとって「労働は懲罰の一つ」だったようです。

しかし日本では、神話の時代から稲作と養蚕があったらしく、今の皇室もこの伝統を受け継いでいます。

ですから日本では勤労というのは神事でもある貴いことだとされています。

江戸時代の思想家、安藤昌益(※1)は「誰でも土を耕す万人直耕」を主張して、役人や僧侶などは汗を流さずに勤労者に寄生する「不耕貧食の輩」とまで言っています。

だから岸田総理がこの頃持ち出した「資産所得倍増プラン」などは、直耕の日本人が汗を流して貯めた金を、不耕貧食の輩であるゴロつき国際金融資本家たちへのドル箱にするプランであり、郵政の民営化で郵便貯金を提供した筋書きと同じことになります。

日本人は最初から最後まで、額に汗しながら米を作ったり、物を造ったりして生きていくべき民族であって、投機で儲ける虚業などに力を入れるべきではないと思います。

秋の田の 仮庵の庵の苫をあらみ 我が衣手は 露にぬれつつ
天智天皇

あきのたの かりおのいおの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ
てんじてんのう

※意味:秋の夜、田んぼの隅に建てた仮小屋に泊まり、獣が来ないよう番をしていると、冷たい夜露が屋根からゆっくりしたたり落ちてくる。屋根を葺(ふ)いた苫(とま=スゲ・カヤ)の目が粗くて隙間があるから、夜露が私の袖に落ちて、着物はだんだん濡れそぼってくる・・・(百人一首でも使用されている歌)

※1
安藤昌益(あんどう しょうえき、1703年 - 1762年)
医師・思想家・哲学家。秋田藩出身。号は確龍堂良中。農業を中心とした無階級社会を理想とした。主著に『自然真営道』(全101巻)


【今日の名言】
節制と労働とは人間にとって誠実な二人の良医である。
by ルソー


※編集協力:和の国チャンネル
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