Uターンして地元で起業するということ

こんにちは。
今回はタイトルのまんま。


僕自身は、
生まれてから高校までずっと兵庫・加古川にいて、
大学の時京都に下宿した2004年以来、10年以上地元を離れていました。
(4回生の後半講義がなかったので一時的に地元に戻っていましたが)

その間、浜松、横浜、名古屋、大田区、台東区、川崎市に住みました。


で、2016年春に地元に戻ってきて起業したわけですが、
そんな話をするたびに、
「やっぱり地元のために戻ってきたんですか?」
とか聞かれます。


このブログのモットーは、
「(喧嘩にならない程度に)正直に!」
なので書きますが…


全然そんなことありません。
そりゃもちろん、地元がさびれるのは寂しいですが、
それを解決しようと帰ってきたわけではありません。


その証拠に、
Uターンと同時に起業した株式会社Sydecasは、
地域活性とか地方創生をミッションに掲げていません。


じゃあ、なんで僕が戻ってきたかというと、
・実家があるので家賃がいらない。しかも、ちょうど弟が結婚して実家の部屋が空いた。
(父親には「いつ出ていくんや」とは言われていることを、ここに付記しておきます)

・大学院時代を中心に、起業する前から様々な地域の方と交流していたが、
 地元で新しく出会った人たちの考え方が一番フィットした

の2つの理由があげられるでしょう。


まぁ実家に戻ることを是とするか非するか、人によって意見は分かれるところだと思いますが、
家族に応援してもらえないような事業で、世の中を変えることはできないんじゃないかと僕は思っています。
(これが、ただのかっこいい理由づけに読めることは百も承知ですが)



さて、一方地域との関係について。

その上で、いわゆる「地域活性」に僕があんまり傾かない理由は2つあります。

1つは、誤解を恐れずにいうと、
「兵庫県や加古川市は、全国的に見たらあんまり困っていないところなんじゃないか」
と思っていること。


もうひとつは、地域の課題を解決するよりも、
地域の資源を活用して、全国や世界に挑みたい、という僕の性格。


そう、僕のビジネスにおいて、地元はカスタマーではなく、あくまでパートナーでありリソースなんです。

もちろん地元は、重要なステークホルダーです。
最初に述べたとおり、地元がどうなってもいいとは全く思っていません。


地元のものを活かして、世界を今より良くする。
で、その結果、地元ももっと良くなればいい。
少なくとも、自分のビジネスによって地元を悪くすることはありえない。


僕は心からそう考えています。


Sydecasで、播州織を素材に使ったり、「プロお母さん」たちのデザインチームを立ち上げたりしているのも、

それが世界のためになって、その結果地元や関わってくださる人たちもハッピーになると考えているから。


その思いは、僕が代表を務めるもうひとつの会社、株式会社エモズティラボでもそうです。

「高砂染」という壽(コトホギ)の願いが込められた至高の逸品で、
世界を壽の心で包みたいと思っています。

壽(寿)とは、「言祝ぎ」。
過去への感謝と未来への願いの現出です。


それを地元から世界に広められるって、そんなにわくわくすることはありません。


「姫路から世界へ」を掲げる某ラーメン屋さん(僕は大好きです。いつもご馳走様です)に、共感するところでもあります。


というわけで、
僕が最初のような質問をされたときに、
「はい! 地域活性をします!」
などと答えているのをもし見かけたら、

上のようなことを説明するのが面倒くさいんだなー
と思いながら、黙ってみていてくださいませ。


では。

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