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それでも人生にイエスと言おう。

こんにちは。休日のたびにいろんなコンテンツを探して学んでいます。ワーク・ライフ・バランスではなくワーク・イン・ライフ。仕事なんて人生の一部ですね。そう思えることが幸せです。


ヴィクトール・フランクル。

7つの習慣の第1の習慣「主体的である」の本文に、オーストラリアの精神科医であり心理学者のヴィクトール・フランクルの体験談が出てきます。7つの習慣を読み始める際、まずこの項で心に衝撃が走り、先に進むことすら難しいと感じてしまう人もいます。それくらい、辛い内容が描かれています。

とても厳しいのだとは思いますが「刺激と反応の間」を越えて読み続けられることで第1の習慣の意味を深く考えられます。こうは書いても恥ずかしながら個人的にヴィクトール・フランクルの名著「夜と霧」は読んだことがありません。そこでYouTubeを探してみるとインタビュー動画が存在しました。

人間を人間足らしめる4つの能力。

今回はその内容から7つの習慣の第1の習慣について考えていきたいと思います。ナチスの思想に対しての話やダッハウ収容所の所長の話と、7つの習慣本文にも書かれている、

何が起ころうとも、それが自分に与える影響を自分自身の中で選択することができたのだ。

7つの習慣「第1の習慣:主体的である」刺激と反応の間より引用

の間にはどんなつながりがあるだろうか。そんなことをふと思ってしまいました。

これも本文にありますが「反応を選択する能力」が勇気を与えるというヴィクトール・フランクルの言葉に、収容者はもちろん、収容所所長や看守も影響され感化されていったのでしょう。人間を人間足らしめる4つの能力「自覚・想像・良心・意志」がその反応を選択する能力なのだなとも感じます。

刺激と反応の間にある4つの能力

誰かに脚色づけされた人生ではない。

改めて「主体的である」を考えてみます。まずは主体性という言葉です。主体性は「自発的に率先して行動する」だけでなく「人間として自分の人生の『責任』を引き取ることも意味する」と本文には記されています。自分の行動に責任を持ち、状況や条件づけのせいにしない、ということですよね。

動画のなかでもヴィクトール・フランクルはこう言っています。「苦しみの意味は、いかにして苦しむのかにかかっている」まさに自分自身の刺激と反応の間にある4つの能力を使った「選択の自由」の責任でもあります。誰かによって脚色づけされた人生、ライフではないのだと思ってしまいますね。

奪うことのできない自由。

レゴ®シリアスプレイ®ワークショップでは「自分とは誰か」について作品をつくるワークをおこなうことがよくあります。誰にも邪魔されることなく自分と向き合いながら作品を制作します。ここで表現されるのは「選択の自由」に基づいた自分自身です。手が導き出す4つの能力の集合体なのです。

そしてその作品には過去でもなく未来でもなく今ここにいる自分の人生ライフが存在します。ヴィクトール・フランクルにおけるナチスの兵士も決して奪うことのできない自由。この先「自分とは誰か」のワークの際には制作者に向けてこう言うようにしよう。「それでも人生にイエスと言おう」と。

最後に。

ヴィクトール・フランクルのふたつの動画。二時間くらいで見れると思いますので、ぜひ時間を取ってみてほしいですね。「夜と霧」もどこかで読みたいなと思います。

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