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授業で対話するのはなんのため?

 なぜか,”ある男”,”である調”になってしまいました。お気になさらず,読んで頂けたら幸いです。

 この記録は,対話する土台を作ることについての研究に注力してきた男が,東京大学大学院教育学研究科で学ぶことを通して,その先にある大切なことに気づいたり,これまでの研究に,新たな視点を関連づけたりしてていく記録である。

ある男のこれまで

 ある男のこれまでを簡単におさらいしておこう。男はこれまで,学校心理学という領域から,公立学校の授業をたくさん見てきた。その中で多かったのは,児童同士の対話が成立しておらず,その先にある深い学びに至っていない状況であった。
 現場の実態を見て,「このままでは,対話を介して深い学びに至ることは難しいのではないか?」と感じた。男は,はやる気持ちを抑え,これを研究に昇華した。授業において対話が成立しにくい状況は局所的なことなのか,それとも多くの公立学校において生じていることなのかを量的に検証したのである。結果,男の読み通り,公立学校の高学年児童は対話的な学びの心構えができていない児童が多い(およそ2人に1人)ことが明らかになった。男は,高学年児童においては,対話的な学びが可能となる心構えを作ることが必要と考え,その研究に没頭したのである。

学校現場では,主体的対話的で深い学びが叫ばれている。しかし,公立小学校高学年児童の授業を見学に行くと,対話を介して深い学びに至らない学級が多くあった。これについては,教師からも悩みの声を聞いていた。近年の高学年児童は,どのくらい協同的な学びについての心構えがあるのだろうか?そんなところから始めた研究。

研究が一段落した今

 多くの時間を費やしたが,高学年児童における対話的な学びがどのように形成されるのか,そのプロセスに関する研究は,博士論文として無事に日の目を浴びることとなった。束の間の休息。3歳になる息子のトイレトレーニングに付き合いながら,男は思うのである。「あれ?そういえば,いったいなんのために授業で対話するんだっけ?」。男は,大仕事を成し遂げた気になっていたが,実は本丸はその先にあったことを思いだしたのである。「気づいてよかった〜。でも,深い学びについて理解するには,その道の大家の下で学びたいなぁ。」
 男は,もう一度,新たな領域について学び,自分の研究を深めることにしたのである。

主体的対話的で深い学びの研究領域の1つ,協同学習に焦点を当てて,日米の先行研究を概観した上で,高学年児童は,現場の教師はどのくらい協同的な学びに対する心構えを持っているのか,そして,協同的な学びに対する心構えはどのようなプロセスで成長していくのかをまとめたもの。

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