見出し画像

【感想】カンテレ月10ドラマ『エルピス -希望、あるいは災い-』第3話

冒頭からいきなりクレジット(スタッフロール)が全て流れた第3話。
エンディング企画の上出遼平らの記載が無かったことから「今週は『長澤まさみの料理天国』が無い、すなわち何か衝撃的な終わり方をしそうだな」と思わせる幕開け。

ここで「木竜麻生」の名前を見て、単話ゲストのキャスティングにも手抜きが一切ないことが分かる。
しかし、実はそれすらもフリ。
(いや、木竜麻生の演技がもちろん素晴らしかったことは念押しの上で明言しておきます)
物語前半、大根仁監督と何度も組んできた永山瑛太がノンクレジットでサプライズ出演!

超絶怪しい人物というかもはや実在したのか幻だったのかすら曖昧なレベルの謎の男。
しかしその台詞は非常に示唆的。

およそ物事はそれが語られるに相応しい位相を求めるものです。
あなたがお知りになりたいことは、言語なんて目の粗い道具だけで掬いきれるものではありませんよ。

「位相」という言葉は高校物理で初めて出会った人が多いのではないかと思うが、ざっくり「周期的な運動をする物体の現在の状態を表したもの」というのがその定義だろうか。
この「周期的な運動」というのが肝で、円とか三角関数とかのように繰り返し同じ動きをしているのが条件である。
例えば、JR山手線を外回りで走る列車を円運動と考えよう。
ある時刻に新宿駅に停まった列車はその何時間後かに再び新宿駅に停車する。
この2つを「位相が同じ=同位相」と呼ぶ。
ドラマに話を戻すと、この台詞はまるで「時代は繰り返している。その巨大な周期の中で何か(本作であれば冤罪事件)を主張するには適切なタイミングが存在する」といったところだろうか?
急いでいるからといって新宿駅で降りるべきところ渋谷駅で降りてはダメなのだ。
これがあのラストに繋がってくる。

浅川さんは僕らみんなを置き去りに、たった1人で正しさに突っ走っていってしまった。

語られるに相応しい位相だったのか…?
答えは第4話にあるのだろう。

「言語なんて〜」の台詞も浅川がテレビ番組という映像の形で真実を世に出そうとしていることや、そもそも本作それ自体がテレビドラマという映像作品であることへの言及に聞こえて興味深い。

そんな感じで大根仁監督と渡辺あや脚本が高次元で噛み合った永山瑛太のシーンだったが、今週は他にも大根仁監督の色を感じるシーンがあった。
それは終盤の浅川(長澤まさみ)と斎藤(鈴木亮平)のキスシーン。
『モテキ』でもあった接写演出。

月日の流れと作品のトーンの違いもあって印象は大きく異なるものの、長澤まさみの撮り方にセルフオマージュをかけてきたようで思わずニヤリ。

さて、そんな第3話のテーマは「空気」

  • マスコミ報道の忖度

  • 学校でのいじめ

この2つを岸本(眞栄田郷敦)の中で繋ぐブリッジとして結婚披露宴の何とも言えない白々しさを持ってくる辺りがさすがの斬れ味。

中島哲也監督の『来る』の序盤はあれをもっと全開でやってましたねw

実に嫌な目線w

ツイートにも書いたけど、この「空気」というテーマには2013年4月に放送された古沢良太脚本の『リーガル・ハイ』のスペシャルを思い出した。

クライマックスでの古美門の最終弁論。

そもそもいじめの正体とは一体何でしょう?
加害者生徒?教師?学校?
いえ、そのどれもが本質ではありません。
正体はもっと恐ろしい物です。
それは教室だけでなく、職員室にも、会社にも、家庭にも、この国のあらゆる所に存在します。
我々は常に周りの顔色を窺い、流れに乗ることを強いられる。
多数派は常に正義であり、異を唱える者は排除される。
いじめの正体とは、空気です。
特に右から左、左から右へと全員で移動するこの国では空気という魔物の持つ力は実に強大です。
この敵の前では法ですら無力かもしれません。
全てを飲み込み巨大化する恐ろしい怪物。
立ち向かうどころか逃げることさえ困難な相手です。

本作も同様である。

劇中において主人公サイドを妨げる存在の中に悪意を持ってそれをやっている人は実はいない。
VTR放送に反対したスタッフも「そりゃこの魚は新鮮で美味しいけど…うちは八百屋だよ?」ぐらいの感覚だろう。
別にそこに悪意は無い。
序盤に登場した警察は確かに組織の威信を気にはしているのかもしれないが、浅川も岸本も最高裁の判決を覆し得る新証拠を示したわけではない。
その状態で

その最高裁の判決がもし間違いだったらヤバくないですか?って話をしに来たんですよ。

とだけ言われても、そりゃ「よし!再捜査だ」とはならないよなと。

忖度と空気はあっても悪意は無いのだ。
この点において本作が描いているのは陰謀論とは決定的に異なる。
陰謀論は「誰か(主に権力側)の悪意があってこんなことになっている」というもの。

無能で十分説明されることに悪意を見出すな。
ロバート・J・ハンロン

「ハンロンの剃刀」という有名な言葉。
権力側の悪意ではなく、一人ひとりは善良なはずの市民の忖度と空気が大きな流れを生んでいくということを本作は描いている。

最後に余談。
前述の『リーガル・ハイ』はあの台詞だけを切り取ると良い話っぽいが、実際は「いじめの存在を認めた生徒たちは単に新たな空気に流されただけ」というシニカルなオチで幕を閉じている。

その生徒役に

  • 伊藤沙莉

  • 芳根京子

  • 小野花梨

といった面々が出演(といっても当時はあくまでone of themな扱い)していて久々に見返したら驚いたw

この記事が参加している募集

#テレビドラマ感想文

21,675件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?