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【感想】カンテレ月10ドラマ『エルピス -希望、あるいは災い-』最終話

スタジオのライトの話から幕を開け、序盤の浅川(長澤まさみ)と岸本(眞栄田郷敦)が向かい合う部屋を照らす西日。
まるで文字通り「斜陽」でまもなく真っ暗な時代を迎えそうな日本を比喩しているかのようである。
映像的にも非常に美しかった。

最終回を観て改めて「本作は政府や権力を巨悪として描き、それを倒す物語ではない」という認識を強くする。

それについて詳しく書こうかと思ったのだが、自分の感想を読み返したら第3話の感想でほとんど言いたい事は書いていた。

実は先週第9話を観終えた時点では少し心配をしていた。
初回から追っていた冤罪事件の背後に大門副総理の存在が明らかになったのはいいが、それがストーリーの柱として陰謀論や権利批判という安易な着地になったらガッカリだなと思ったのである。

その心配は杞憂に終わった。
やはり第1話から一貫して本作はそういう単純な構図の話ではなかった。
「大門副総理はじめ政治家の描き方がステレオタイプ」だとか「作り手の政治思想が出すぎている」とかって批判はウエストランド井口の言葉を借りれば皆目見当違いということになるだろう。

本来善良なはず市民の忖度が権力を太らせるということを本作は描いている。
滝川(三浦貴大)や斎藤(鈴木亮平)の言い分にも彼らの正義はある。
(あくまで「彼らの」正義であって絶対的な正義ではない。念のため)
実際『フライデーボンボン』は冤罪事件の報道を発端としてあっさり終わったし、あのスキャンダルを明るみに出したら確かに日本は大変なことになるのかもしれない。
正義は立場で変わる。
第9話で描かれていたように善玉と悪玉に綺麗に分けられる話ではないのだ。

そして巨悪を倒せば万事解決みんなハッピーなわけでもない。
最終回のクライマックスとなった浅川と斎藤の交渉シーン。
あの場面も「浅川が絶対的な善で斎藤の主張は空虚」で片付けられるほど単純なものではない。

最善ではない。
確かに最善とは言えない。
でも信じてほしい。
現時点においては辛うじて君のカードよりはマシなんだ。

この微妙すぎるニュアンス…!
しかもこの直前に浅川は

知らせるというカードを切った時に生じる責任は私個人に負い切れるものではないかもしれません。

という点は認めている。
浅川にとっては「真実を報じる」こと自体が目下最優先のゴールだが、斎藤が提起している問題はその後。
どのタイミングでカードを切るか?という話はまさに第3話に出てきた「位相」の話に繋がってくる。

およそ物事はそれが語られるに相応しい位相を求めるものです。
『エルピス -希望、あるいは災い-』第3話


だからこそのあの“痛み分け”なのだ。
そもそも巨悪を倒す系の話はTBS日曜劇場の十八番で我々も散々見てきたのだからわざわざカンテレでやる必要もない。

そしてラストシークエンスの大門副総理(山路和弘)が記者の追及を受けるカットに重なる岸本のモノローグ。

そしたら浅川さんは言った。
「あのね岸本くん、どっちが善玉で、どっちが悪玉とか本当は無いらしいよ。この世に本当に正しいことなんて多分無いんだよ」

達観というより半ば諦観の境地。

強いて不満点を挙げるなら大門亨(迫田孝也)の死が劇中においてはほとんど報われなかったということか。
村井と浅川を奮起させる物語上の装置に留まってしまったと見えなくもない。
打倒巨悪の物語ではないとはいえ死というのは絶対的に不可逆であり、フィクションの持つ永遠性を以ってしてもこればかりは救済が難しいので。

おまけ

「穴の空いたものを差し入れる」というルールでもあるのだろうかw

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