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スーパーの女

スーパーで働いている。
私は今、なにかと熱いスーパーで働く、スーパーの女だ。
本業で全く稼げていない、というすげない有り様なので、近所のスーパーでバイトを始めたのが去年の10月。
世の中は、まだこんなにも騒がしくなかった。
小銭を稼ぎたい…という欲望と、スーパーの裏側を覗き見たい…というゲスな心模様。
そんな思惑が重なり合い、私を突き動かした。
スーパーの裏舞台は、よくある再現ドラマやレディコミのように、本当にドロドロしているのだろうか。派閥、不倫、女のいさかい…。
期待で胸が膨らむ。
そこで、いわゆるスーパーの直接雇用ではなく、派遣会社に登録し、レジ専属スタッフになった。
潜入捜査に徹するため…ではなく、高めの時給といつでも辞められるのが利点だったからだ。
「いらっしゃいませ〜。ありがとうございました〜。またおこしくださいませ〜。」
一定のリズムに乗って、ただ黙々とひたすらにレジを打つ。しかし、なかなか奥が深い。
この単純作業に、実はハマった。
バーコードを読むのも、商品をカゴに収めるのも、きちんとした技術が必要なのだ。もちろん慣れも大きいが。初めは、ただただバーコードを読むのに必死だった。
当たり前だが、野菜は日々価格が変動するし、不揃いで収まりが悪い。
揚げ物は似たような茶色黄色の、まる・さんかく・しかくに惑わされる。
酢豚のあんはもれなく漏れてくる。
4ポットのヨーグルトはとかくバーコードを見失うし、はっさく・不知火・夏みかんはややこしい。寿司は確実に寄る。とまぁ、書き出したら止まらない。
徐々にバーコードを読むのに慣れてくると、次は商品をぴっちりカゴに収めたい欲が出てくる。
コーナー取り、センター、下から上。重から軽。
一瞬迷うと上手くいかない。感覚はテトリス。すき間を埋めろ。パシッとコンプリートすると気持ちいい。ドヤ顔でお客様を送り出す時の、何ともいいえぬ達成感。
だが、それにも慣れてくると、ふと自己満足に商品をカゴに納めても、お客様が袋詰めの際に取り出しにくいのでは…という疑惑が生まれる。まじめか!
私は最近この心境に至り、あれやこれやと試みながら日々大量の商品を右から左へ受け流している。
そこへ来てのコロナ騒ぎ。
スーパーだって踊らされている。
何しろ前例がない。良かれと思ってやった事がばっちり裏目に出たりする。
まずは時短営業。だがそれによって、とくに閉店間際に人が集中し、かえって混雑を招いている。
間隔を空けて並ぶためのソーシャルでディスタンスなライン。これもまた間が開くのはいいが、一方で行列が果てしなく長く感じられ、苛立ちを誘う。店員は、店長お手製のペラいビニールシートで視覚を、張り付くビニ手で触覚を奪われる。
こんなに密を避けることにしゃかりきなのに、スーパーはたいてい、やっぱり行列、空気は殺伐、そこはかとなく圧。
れつ、ばつ、あつ。で、さんみっつ。
だが、悪い事ばかりではないように思う。あくまでも個人的な感じ、なのだが。
サービスをする側にも、される側にも、やれることは自分でね、という程よさが生まれたような気がする。やってやられて当たり前、が当たり前ではなくなった。いいじゃないか。
それにしても、やはりスーパーは魔境だった。
砂かけババァみたいなおばちゃんや、子泣きジジィみたいなおばちゃん(結局ぜんぶおばちゃん)があちこちいて、レジ打って、品出して、コロッケ揚げて、毎日ハッスル!
ゲゲゲの女房たちは、逞しく、ちょっと厚かましく皆さまの生活を支えている。
怖いもの見たさで足を踏み入れたスーパーは、想像以上に居心地の良い、水木しげるな世界だった。
私でさえ、ねこ娘のポジションでいられるのだよ。
いいじゃないか。


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