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写真を始めて、職業にしていくまで(自己紹介)

三重県というあまり美術に馴染みのない土地で生まれ育ちました。県別美術館数ランキング40位というリサーチ結果の通り、工業の町です。

写真を撮り始めたのは、19歳の頃で祖父のnikonのフィルムカメラを貰い受けたからです。その時、すでに芸大に進路が決まっていてフラフラしていましたし、絵を描くのにも疲れていたので、なんとなく気分転換したいというのが動機でした。

写真は撮り鉄などオタク要素の強いものだと思っていて、あまり興味がなかったのですが、芸大に入るからと表現方法をいろいろと情報収集しているうちに森山大道さんや木村伊兵衛賞を取った佐内正史さんの『生きている」を見て、こんな形で世界と繋がれるのか!と衝撃を受けてどんどんのめり込むようになっていきました。

京都の芸大には建築科で入学しましたし、しばらく建築にも興味があったので、写真科に移ったのは三年からです。そこからはずっと写真のことを考え、これまで生きてきました。

当時まだフィルムが主流で週の半分は一日36枚撮りのフィルムを2本撮影し、残りは現像、プリントする日々を繰り返していました。
表現の為に自分と見つめ合い何千枚と撮影した経験は確実に糧になりましたが、自己顕示欲だけが強く、世界に発信したいメッセージや新しい切り口を生み出す発想に乏しかった為、アーティストとしては頭打ちだと薄々感じていました。ただ写真で食べて行きたいという漠然ながらも執着心はあったので一年暗室で働きながら方向性を模索していました。写真家のアシスタントを無償でしたり、とにかく経験できそうなことはやってみようと思って動いていました。
スタジオマンという職業があり、フォトグラファーになるにはそこを経験するといいとインターン先のフォトグラファーから教えて貰ったのでいくつか面接を受けたのですが、持っていったポートフォリオに本人の嗜好、趣向、個性が見えないので将来性を感じないと言われ、何度も面接で落ちてしまいました。7個目ぐらいだったでしょうか、あるスタジオにようやく就職が決まり、スタジオマンとして働き始めました。
面接した日に東日本大震災が起きたので、よく覚えてますが、これが24歳の時です。

次回はスタジオマン、直アシ時代の話をしようと思います。ここまで読んで頂きありがとうございました。

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