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第7回:『木を植えた男』(1987)

ひとりの男が、乾いた荒れた山脈の一角にある険しい丘陵を歩いている。草木は少なく土や岩石がむき出しで、あたりに人気はない。響くのはブーツが砂利をかむ音と四方から流れてくる風の音だけ。すでに歩き始めてから3日が過ぎ、水も尽きかけている。途中、いくつかの村の跡地があったがそれらは皆、廃虚と化し生活の気配は何も残っていなかった。泉は枯れ、家の屋根は朽ち、教会堂の鐘楼は崩れ去っていた。

歩き続けて5時間、遠くにかすかな影が見える。木と見間違えるその影が気になって歩いてみるとそれは、一人の羊飼いだった。羊飼いは水筒に残った水をくれた。男は、生き延びることができたのだ。

羊飼いは自分の家に案内してくれた。整理整頓が行き届いた清潔な家だった。そこで男は2日を過ごした。居心地の良い空間。まるで、世間から切り離され独自の生活圏を営んでいるかのようだった。

羊飼いの名前はエルゼアール・ブッフィエといった。ほとんどしゃべらない男だったが威厳に満ちたその顔には世をはかなんでいるふうな様子には見えず、落ち着きがあった。タバコも酒も飲まない彼だったが、1つの習慣があった。それは食後に小さな袋から取り出したドングリを1つずつ良いものと悪いものに選別した100個の完全なドングリを丘に植えることだった。毎日、毎日、木を植え続け、すでに3年もの月日が経過していた……。

原作者ジャン・ジヨノが描こうとした「行動」

アニメーション映画『木を植えた男』は、1987年にカナダ在住のフレデリック・バック(Frédéric Back)によって作られた作品だ。原作はフランス人作家のジャン・ジヨノ(Jean Giono)でこちらは1953年に発表され、森林再生の希望をうたったこの作品は「ある事情」から世界中の言語に翻訳され、愛され続けている。

実際に、フレデリック・バックの映画が公開された後はカナダで植樹運動が活発化し1987年は約2億5000万本の植林があったという。カナダはもともと植樹の歴史が浅く毎年3000万本ほどだったというから、その反響の大きさが伺えるだろう。

さきほど「ある事情」とカギカッコ付きで説明したことだが、実はこの作品の著作権は原作者のジャン・ジヨノによって放棄されており、自由に翻訳することができる。それはなぜか。実は、原作に登場するエルゼアール・ブッフィエなる人物は、実際には存在していないからだ。この作品は、ジャン・ジヨノの想像によって生み出され、人々に木を好きになってもらいたいと考えたために著作権を放棄し、世界中に作品を広めようとしたのだ。

原作はアメリカの編集者から受けた「あなたがこれまでに出会ったことのある、最も並外れた、忘れがたい人物は誰ですか」という質問への回答として書かれている。回答を受け取った編集者が実際に現地調査をしたところ、エルゼアール・ブッフィエという人物も、プロヴァンス高原での植林活動も、その事実は一切見られなかったのだ。要はこの映画は、架空の世界のファンタジー作品なのだ。

一般的に、実話をもとにした作品はいくつか見られる。2012年に公開された大富豪とその介護人の交流を描いた『最強のふたり』や韓国で起きた「光州事件」をもとにした2017年の『タクシー運転手 約束は海を超えて』など。しかし、『木を植えた男』については一切が、事実ではなかった。しかもジヨノはそのことを原作で表明せず、さも事実であったかのように記している。これは、フィクションだということを「あえて」隠しているかのようですらある。
なぜジヨノはこのような「希望あふれるフィクション」を描いたのだろうか。

フィクションを作らなければならなかった理由

1つは、当時の時代性が大きく影響していたのだろう。ジヨノが原作を書いた1953年、世界は近代化に向けて科学的工業化を推し進めていた時代だった。日本でも熊本県水俣市で水俣病が発生し始めた頃だったが、人々の目には、将来的な不安よりも現在的な豊かさしか、映っていなかったのだ。ジヨノ自身、フランスの徴兵反対運動で逮捕投獄された経験がある。もともと彼自身は「行動の人」であったから、目の前で起こる惨状に対し、何かしらのアクションをしたかったのではと考えて不思議ではない。

だがここで1つの疑問が現れる。行動をする人間であるジャン・ジヨノはなぜ、この作品をフィクションとして扱うのではなく、あたかも「事実」であるかのように表現したのか。それを考えるために、1つの映画の瞬間を、取り上げたい。

荒れ果てた山脈に、花咲踊る瞬間

今回取り上げる映画の瞬間。それは、ブッフィエが植えたドングリが芽吹き広大なナラ林になったことで、人々の生活が戻ってきた場面だ。流れる空気が変わり、井戸も引かれ、そのかたわらにはボダイジュが植えられていた。

ナレーション:1945年6月、私はなじみの道を砂漠に向かいました。デュラス川が流れる村からようやく運行し始めたバスに乗ったのです。ほどなくバスは幾度も尋ねた高地にさしかかりました。ところが、その場所は、見たこともない風景が取り巻き、自分の記憶を疑いたくなるほど装いを一変していたのです。

1913年、初めて私が来たとき、この村には数件の家しか残っていませんでした。住民はいたずらに憎しみ合って暮らしていたのです。それはもう、救いがたい状況でした。今は、何もかも変わっていました。

『木を植えた男』

普段、僕らは悲観的で、美しい表現に接しがちだ。地球が危ない、このままでは未来に美しい地球を残せない、変わるべきは人間の心だ等々。それも、ショッキングな映像とともに。

確かに、これらのキャンペーンは一定の効果があると思う。これまで環境に対しあまり関心を持たなかった人間にとって、考え方を改める良い機会になるだろう。ただ、一方でこれらのセンセーショナルな情報は、人間から「思考」を奪い去り虚無的なニヒリズムがはびこることになるのではないか。どうせ無意味なことだ、 "一人の行動だけでは"何も変わらないと。ここでいうニヒリズムは止揚を目指した否定ではなく、もっとネガティブな、無抵抗に近い否定をいう。こうしたニヒリズムがはびこれば、現状維持こそが最も良き判断として、問題提起することすら意味を持たなくなるだろう。

おそらく、ジヨノはこうした否定に対し「No」を突きつけようとしたのではないか。一人の人間の行動が、あの荒れ果てていた山々を緑によみがえらせ、人々の生活を取り戻した。たとえそれがフィクションであり全くの事実ではなかったとしても。"一人の行動"が現状を変えたことを伝えることで、人々に希望を与え実際の行動を促すために。現実よりもリアルな世界を、作り出したかったのではないだろうか。

フレデリック・バックのアニメーション演出も、ジヨノの意向を如実に映し出している。手書きの素朴な空間いっぱいに広がる色彩豊かな町並み。木々の枝が二頭の馬に変わり力いっぱい駆け抜ける草原。実写であればレイアウトに沿ったロケーションを選択する必要があるが、アニメーションの場合は自分の手だけで完成できる。空間の中に必要な要素だけを描き出すことで、現実よりもリアルな世界を作り出せる。本来、写実的という意味では実写のほうがその場にある「本物」を描いているのだから、リアルさでいえばアニメーションに勝てないはずなのだが、バックのアニメーションに関しては、バックの作品のほうがジヨノの意向を描き出せていると思っている(『木を植えた男』は実写映画にもなっている)。

未来に進むために必要な力とは?

悲観的な世の中で、楽観的に物事を捉えるにはどのような力が必要だろうか。これは、僕が最近考えていることだ。ちょっと気を抜けばニヒリズムの谷に突き落とされてしまうこの時代にあって、真に物事を前に進めるには何が必要か。その一つの答えが、この『木を植えた男』にあるような気がしている。今、環境問題とかサステナビリティとか、そうした「問題提起」が盛んだからこそ、ぜひこの映画を一度見てほしいと思います。

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